[スター日記]サンダラ・パク③"フィリピンでネズミ・とかげ料理も.."


[アジア経済イム・ヘソン記者] フィリピンで先に演芸活動を始めたサンダラ・パクは'逆韓流'の先頭二字だ。

去る2003年フィリピン大衆に顔を知らせたサンダラ・パクは、韓国にまた戻る時まですごい人気を得た。 当時サンダラ・パクを知らなければフィリピン国民ではないほどだったという。


フィリピンでの人気を土台に国内に戻ったサンダラ・パクに当時国内ファンたちは'フィリピンのBoA'というニックネームを付けた。


"フィリピン活動は偶然でした。 ある日ある友人がフィリピン放送局ABS-CBNで主管する'スターサークル キュツト'のオーディションに受けてみることを薦めました。 '経験になるようだという考え'に出演を決心したが結果が良かったです。"


'スターサークル キュツト'は米国FOX社の'アメリカン アイドル'、韓国M-netの'シュトスタK'と似たプログラムで2004年当時フィリピンですごい話題を集めたプログラムだ。


フィリピンに移民に行った後、言語と文化の障壁に遮られて口を開かなかったサンダラ・パクだが、少しの間も芸能人の夢を忘れなかった。 サンダラ・パクは両親も高等学校だけ卒業すれば韓国に送ると約束して彼女をなだめた。 高等学校卒業だけ待ったサンダラ・パクに'スターサークル キュツト'は偶然でなく訪ねてきた機会であった。


"当時フィリピン語がを全くできませんでした。 韓国の人がオーディションを受けたのは私が初めてでした。 知っていることもなくて,全てのものがみな下手だったんですよ。 こういう自分の姿が新しかったようです。 運が良かったようです。"


サンダラ・パクは去る2003年11月オーディションを受けて2004年4月から放送を始めた。 毎週月曜日から土曜日まで週6日放送される程に大きい人気を得たプログラムのおかげでサンダラ・パクの認知度もしたがって上がった。


"フィリピンと韓国はアーティスト概念が違いました。 フィリピンでは歌、演技、MCなど万能エンターテイナーを望みました。 'スーパースターK'に出場した出演者などの心を100回理解します。 サバイバルがどれくらい血がにじむ方式なのかすさまじく経験したからです。"


経験を積もうという考えに始めたがサンダラ・パクは最善を尽くした。 恐怖演技をする前に肝っ玉を育てなければならないという趣旨でオーディション参加者らを困らせた恐怖体験ですらサンダラ・パクは退かなかった。 幼い女子学生が耐えるには恐怖体験はあまりにも苛酷だった。


"ネズミ、とかげなどを料理して食べるようにして本当にお化けが生きているという家に入って出てくるようにしたりもしました。 はなはだしくは鶏喉も切るようにさせるほどぞっとするミッションが多かったです。 率直にネズミを食べられませんでした。"


出演者などの恐怖に真っ青になった姿はそのまま電波に乗った。 サンダラ・パクは、やはり凄じいミッションの前で座り込むこともたくさんしたが芸能人の夢をあきらめることはできなかった。


"恐ろしくて泣くばかりだから製作陣は私ができないことを明らかに知って、さらに難しいミッションをさせました。 最も記憶に残るのは鶏料理を直接して食べるミッションです。 山の中に行って鶏の首をはねることから始めて、全てのものを直接しなければならなかったんですよ。 率直に大変でした。"


だが細い容貌とは違いサンダラ・パクは強かった。 女子学生が耐えるのに容易ではない経験の連続だったが、サンダラ・パクは両親の前でただ一度も涙を見せなかった。


"あきらめたい心が一日にも数十度私を訪ねてきました。 撮影中に泣いたり、たくさん泣きましたよ。 本当に世の中に私一人だけいるようでした。 わかる事がなくて、もっとそうだったようです。 '私の夢のために両親が胸が痛くしたくない'という考えに一人で勝ち抜きたかったです。"


サンダラ・パクの真心はフィリピン国民にまで伝えられた。
最終五人が確定する最後の選抜戦で約50万通の携帯電話文字得票を記録した。 これは女性出演者史上最大の記録だった。 だが'グランド ファイナル'でサンダラ・パクは惜しくも2位を占めた。


"事実落ちた時、本当に良かったです。 一生懸命するといったが率直に私の実力がたくさん不足しましたよ。大賞を受ける時'私を呼ぶな,私を呼ぶな'って心の中で叫びましたよ。 負担が大きかったんですよ。 私の名前を呼ばなかった時、本当に良くて'方々'走りました。 外部ではサンダラ・パクが同僚の優勝に心より祝賀したとほめました。 事実気が楽で,本当に良かったがですね。(笑)"


フィリピン言論はサンダラ・パクの魅力を計画しなかった姿だと紹介した。 'スターサークル キュツト'に出場する人々大部分はエージェンシーにすでに所属していたがサンダラ・パクは放送に対して無知だった。


"放送で言う話せない言葉をすべてしました。 爆弾発言をたくさんして,現地記者らがたくさん好みました。 感情にも率直だったことのようです。 悲しければ泣いて良ければ良くて,感情表現が確実だったんですよ。 純粋な姿が好きになって下さったことのようです。"


▲サンダラ・パク スター日記4回は3月10日午前8時にアジア経済新聞ホームページ(www.asiae.co.kr )で引き続き連載されます。

元記事 矢印 アジア経済  



ダラ、意思強しぱちぱち