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これは被災地から帰って来て友人や家族から必ず質問されることの1つです。


ぼくは去年の夏と先日、被災地(岩手県)2回訪れました。

そこでこの問いに対して、ぼくなりの答えがなんとなく出たのでここに書き残しておこうと思います。

(ちなみに、現地の「風」や「におい」という答えは除外してあります。それをアリにしちゃうと「結局現地に行かなきゃ分かんねーよ!」とか「ピンとこない」って言われると思うので)



「テレビで見る」と「生で見る」の違い…それはやっぱり<編集>なんです。


テレビなどの報道では大抵の場合、震災時震災前震災後の様子が比較できるように映されますよね。
だからぼくたちは「あぁ、今回の震災でこんなに変わってしまったのか」とか「震災前はこんなに綺麗な景色が広がっていたのか」と理解することができるんです。


でも、実際に被災地に足を踏み入れた時そこには「震災後の景色」しかないんです。

元々ここはどんな街だったのか…全く想像も出来ません。目の前に広がる「何もない土地」を見てもここが以前「家」だったのか「田んぼ」だったのかも判別出来ないんです。

この「土を被った道路」は元々そうだったのか、震災によってこうなったのか、前日の雨に依るものなのか、それすら分からないんです。ぼくたちは。


震災はその街に広がっていた以前の「景色」を奪っていっただけではなく、その景色を「想像すること」すら奪っていったんです。


これは「人」に対しても言えることなんですよね。

ぼくたちが被災地で出会った人は、やっぱり「震災後」のその人なんです。

もしかしたら震災前はもっと明るい人だったのかもしれない。

よく笑う子だったのかもしれない。

でも、ぼくたちには分からないんです。

外部から来た人間には、「震災が奪っていったもの」すら分からない。これが現実なんだなって実感しました。


<編集>に関してもう1つ。


テレビの報道は被災地の各地の状況をどんどん映していきますよね。

まずは建物の中、続いて海岸沿い、市役所、病院の屋上、そして最後に希望の1本松というように。

でも実際の被災地はその全ての状況が地続きに繋がっているんです。

市役所から海岸まで行くのにぼくらは永遠とあの恐ろしい光景を見続けなければいけない。画面が切り替わって「ハイ、次!」とはいかないんです。


ぐにゃぐにゃにねじ曲がったガードレールを何個も見て、錆びた鉄骨がむき出しになって崩れている建物を何戸も見て、子供のおもちゃや食器などが埋まっている泥道を何往復もして、やっと次の場所に着くんです。


これはね…辛いですよ。「なんなんだよ!これは!」って震災に対して怒りが湧いてきますよ。よそ者のぼくですら。


あと、テレビの映像って見せたい所に「ピントを合わせたり」「ズームで寄ったり」しますよね。

それってある意味、見てる側はそこ以外の情報を捨てることが出来るから楽なんです。

でも実際に生でその光景を見ると全ての情報が嫌ってほどクリアに入ってくる。見たくないんだけど、見ざるを得ないんです。だってどこを見たって震災の爪跡だらけなんですから。「逃げ場」がないんです。



うーん…大体こんな感じでしょうか。

誤解がないように言っておきますがこれは別に「テレビの報道」を批判してるわけじゃないですからね。あくまでもテレビと生の「違い」を言っているだけですので。


被災地に行ったからって偉くなんかないし、被災地に行ったからって理解できるわけじゃない。だけど、実際にこの目で見たものは「忘れない」ですよね。


忘れないですよ。