邪馬台国を探索する人のブログ

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魏志倭人伝は 邪馬台国、そして卑弥呼のことが記してある中国の歴史書です。「三国志」の一部分ですよ。 魏・呉・蜀の三国志の時代に邪馬台国は存在し、邪馬台国と魏・呉は切っても切れない関係なんです。その魏志倭人伝の謎を解き、邪馬台国を探索していきます。

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繰り返しますが、邪馬台国とは魏志倭人伝に記された国であり、魏志倭人伝の解明なしではその所在地にたどりつくことはできません。

それでは魏志倭人伝の解読にとりかかりましょう。


まず、一つ目の偽の邪馬台国の所在地(奄美大島周辺)が発生した理由を考察しましょう。

魏志倭人伝を解読するには、魏、呉、蜀や倭国を含めた東アジア情勢を考慮しなければ始まりません。

当時、中国は「三国志」の時代であり、魏、呉、蜀が激しく争っていました。魏は周囲を呉、蜀、鮮卑・匈奴、公孫氏などの外敵に取り囲まれ度重なる侵攻・反乱を受けていました。また、内紛も抱えていました。

このため、魏は最も大きな国でしたが兵力に余裕などなかったと考えられます。

237年に遼東(現在の北朝鮮のすぐ西側)を支配していた公孫淵が魏に背くと、魏の明帝は238年に司馬懿に命じ公孫淵を討伐します。この討伐は成功しましたが莫大な戦費がかかり魏は疲弊します。

さらに、239年に明帝は若くして亡くなり、幼い斉王が即位します。

この魏の疲弊・混乱につけこんで呉は魏への攻撃を活発化させるのです。

魏は疲弊・混乱のなかで、なんとかして呉の魏への攻撃をやめさせたかったのです。

ちょうどその頃、邪馬台国から魏への朝貢があり、魏の首脳はこの邪馬台国の存在を利用したのです。

魏と親密な邪馬台国が呉のすぐ近くにあり、さらに大きな国であるようにみせかけ牽制し、呉からの魏への攻撃の手をゆるめさせたかったのです。

そして、240年前後に魏王に奏上された邪馬台国への道程を記した報告書は、邪馬台国の存在により呉を牽制し魏への攻撃の手を緩めさせたいという魏の首脳の強い命令により、邪馬台国を本来あった位置から呉の東方海上(奄美大島周辺)に位置させるように史家により改竄されたのです。

この改竄により、まず一つ目の偽の邪馬台国の所在地(奄美大島周辺)が発生したのです。

次は、二つ目の偽の邪馬台国の所在地(インドネシア周辺)が発生した原因を考察します。







二つ目の偽の邪馬台国の所在地(インドネシア周辺)が発生した原因を考察します。


当時、中国は三国時代で魏、呉、蜀が並立していましたが、265年に魏は晋へと変わります。魏(曹氏)から晋(司馬氏)へと禅譲されたことになっています。(実際は違います。)

晋の陳寿の著した「三国志」は晋の時代に記され、魏、呉、蜀の三国時代の歴史が記してある歴史書(正史)です。このため、「三国志」には魏から晋へと国を禅譲した正当性を周知させるため、その正当性を述べる必要があったのです。

すなわち、晋の国を興した立役者である司馬懿仲達がいかに優れた人物であり、魏から晋に代わるのは必然のことであった、ということが三国志には述べられているのです。

晋の皇統の祖先である司馬懿が活躍していた魏の時代に、魏の諸将のなかで司馬懿は最も大きな功績を残している必要があったのです。

ところが魏の諸将のなかで最も大きな功績を残していたのは、司馬懿ではなく曹真でした。曹真は西アジア方面の経営により大月氏国を魏に朝貢させることに成功していたのです。

大月氏国はアフガニスタン、パキスタン、北インドにまたがる大帝国でした。

これに対し司馬懿の功績は、遼東の公孫淵を討伐し50年ぶりに韓国、倭国との交通を再開させたことによる、邪馬台国から魏への朝貢でした。

司馬懿の功績である邪馬台国からの魏への朝貢は、曹真の功績である大月氏国からの魏への朝貢に比べて、その距離も国の大きさ(人口)もはるかに及ばないものだったのです。

このままでは、魏の諸将のなかで司馬懿は最も大きな功績を残している、ということになりません。

このため、邪馬台国の戸数(人口)は大月氏国に匹敵するように誇張され、さらに魏の首都である洛陽から邪馬台国までの距離も洛陽から大月氏国までの距離に匹敵するように誇張されたのです。

具体的にいえば、帯方郡(ソウル付近)から邪馬台国までの距離を万二千余里と誇張したのです。

これにより、司馬懿の功績を曹真の功績に匹敵させることに成功しましたが、洛陽から邪馬台国までの距離は大きく延長され、二つ目の邪馬台国の偽の所在地(インドネシア周辺)が発生したのです。



どうでしょうか。

二つの偽の邪馬台国の所在地が魏志倭人伝に示されているのですが、それぞれに理由と目的があったことがおわかり頂けたと思います。

魏志倭人伝の記述はけしてめちゃくちゃでもいい加減でもなく、ひとつひとつ復元していけば十分に解読できるものと思われます。


そして、本当の邪馬台国の所在地が書かれた報告書を再現できるはずです。


次回からはいよいよ魏志倭人伝の記述を解明・復元し、邪馬台国の所在地をつきとめましょう。
「日本史の誕生」

「完全決着!邪馬台国 魏志倭人伝を究極解明」

この記事は上記2点の著作物を参考に記述しています。

(引用・参考にした場合はかならず上記2点を紹介しましょう。)