▪️所在地:埼玉県所沢市上山口2135

▪️完工:昭和54年(1979年)3月

    ドーム化 平成11年(1999年)2月

▪️収容人員: 37,008人(特別席1,104人・内野26,352人・外野9,552人:完工時)

▪️中堅:122m  両翼:100m(完工時 中堅:120m  両翼:95m)

▪️観戦試合:1990.8.14 ライオンズvs バファローズほか6試合


埼玉西武ライオンズの本拠地、西武ドームは、西武鉄道池袋線の西武球場前駅すぐ目の前にあります。駅からの距離は、神戸市営地下鉄の総合運動公園駅とほっともっとフィールド神戸の近さに匹敵します。


西武球場前駅


駅を出たらすぐ球場


もともとアマ野球などで使用していた西武園球場を、プロ野球興行できるように改修したそうです。狭山丘陵の自然に調和するよう、構造物を建築するのではなく、地面を掘り下げて球場が作られました。そのため、観客席に向かうには、球場外周の通路から階段を降りる構造になっています。


西武園球場は今と逆方向を向いています。


西武ライオンズ球場時代です。


ドーム化されました。


西武ライオンズ球場時代は、広告のないフェンスや細長いスコアボードが、当時の昭和感いっぱいの他チームの本拠地球場とは異なり、非常に洗練されたイメージがありました。


西武ライオンズ球場のイラスト


本拠地では珍しく外野は芝生席で、地方球場の雰囲気もありました(現在は外野も座席があります)。


外野は人工芝生席でした。

国内外の大物アーティストのコンサート会場としてもよく使われています。


既存の球場に屋根を設置するという発想は斬新ですが、ライオンズ球団のウェブサイトによると、球場周辺は雨の通り道であったことから、建設当初から屋根を付けてドームにする計画があったようです。


2年かけてドーム化され、1年目はリング部分、2年目に屋根の真ん中の部分が施行されたため、1年目はドームなのに雨天中止という珍しいことが起こりました。

鋼鉄パイプのV字柱で支えられています。


ドームを支えるV字柱


屋根はテフロン幕です。

当時は全面緑の人工芝でしたが、内野部分がアンツーカー色になり、明るい感じがします。球場内を眺めるとレフトの屋根の上方に、何やら看板が設置されています。カブレラ選手の打球がここに当たったらしく、推定飛距離は180mです。


レフトの照明灯の上に何やら看板が。


どんだけ飛ばすねん。


ドーム化されてからネーミングライツが導入され、頻繁に名称が変わってます。

インボイスSEIBUドーム(2006〜2007)

グッドウィルドーム(2008〜2009)

西武プリンスドーム(2015〜2017)

メットライフドーム(2017〜2022)

ベルーナドーム(2023〜)


西武ドーム時代

この球場では、ブルーウェーブ初のパリーグ優勝決定試合を観戦しました。


優勝決定シーンの写真は撮ってません。


ライオンズ・クラシック2011


ライオンズ中島選手への四球からの乱闘

ライオンズ初代ユニもバファローズビジターユニもグレーなので、どちらがどちらかわかりません。


ライオンズの圧勝


なぜか試合終了後、パンチ佐藤氏によるイベントがありました。(真ん中は、なぜかバファローズのユニフォームを着ているパンチ佐藤氏)



球場周囲の通路には本日のスタメン


明日の先発の発表


アダム・ジョーンズ選手


吉田正尚選手


座席はクッションが効いています。



先発の張奕投手の好投で勝利。

まさか数年後ライオンズに入るとは。


帰りは特急ラビュー号で


ところで、滋賀県にある近江鉄道は、西武グループということもあり、関西にも関わらず駅にライオンズ感が漂っています。近江鉄道の起点である近江八幡駅の待合室は、近江高校からライオンズに入った山田陽翔投手の応援色が強くなっています。


近江鉄道の駅名標にはライオンズのマーク


駅の推し獅子、山田陽翔選手


待合室の裏もライオンズ一色


80年代から90年代前半は、FA制度がなく、ライオンズはスカウティングやトレードによるチームビルディングにより常勝軍団でしたが、資金にモノを言わせて他球団の主力を引き抜く某球団と違い、素直にその強さを受け入れることができました。


90年代中盤以降は、FA等による主力選手の退団が続き、低迷が続いています。パリーグではライオンズをはじめ、マリーンズやファイターズ、セリーグではカープなど、主力が抜けていくチームにはシンパシーを感じ、ライバルと言えど応援したくなります。いつか強いライオンズが復活し、西武ドームが盛り上がることを期待したいです。

(終わり)