宮崎の強豪、私立延岡学園には14年にも及ぶちょっとした物語がある。それは押川三兄弟による小さな軌跡だ。2006年春延岡学園野球部に押川竜太(押川家次男)が入部する。竜太は苦しい寮生活、練習に耐えやがて主将となりチームを牽引した。竜太が3年の2008年に龍太(押川家三男)が入部した。お互いに切磋琢磨し、迎えた竜太の最後の夏。順調に勝ち進み準決勝まで駒を進めた。相手は宿敵日南学園。試合は両者互角。しかしバント一つのプレーにもたつき、試合に敗れ竜太の夏は終わった。後に竜太は日産自動車硬式野球部に入部し社会人でプレーする事になる。兄が敗れ、龍太は三日三晩泣いたが、「俺が甲子園に行く。」とそこから毎日の練習に励んだ。2年後同じく龍太は主将として、チームを引っ張り甲子園出場を決め、見事約束を果たす。その甲子園では暴れまくった。3番として9打数5安打2長打1打点。投手としてもMAX145キロを計測し、投打共に存在感を見せた。この活躍により三菱倉敷オーシャンズのスカウトで龍太も社会人でプレーする事になる。そして月日が経ち10年後の2018年今度は雄太郎(押川家四男)が入部した。雄太郎は龍太の甲子園でのプレーを生で観戦し、「俺も延学で甲子園に行きたい」という想いで入部。初めは上下関係やきつい練習、寮生活に苦しむが徐々に頭角を表し、そして最後の年。なんと雄太郎も主将としてチームをまとめ、牽引した。だがこの年新型コロナウイルスの影響で次々に大会が無くなり、遂に春の選抜、夏の選手権までも無くなってしまった。しかし、雄太郎は下を見ず代替大会に気持ちを切り替えチームを鼓舞した。結果はベスト8に終わったものの、4番として9打数5安打5打点と存在感を見せた。この後雄太郎は色々誘いはあったがきっぱり野球を辞め今は会社員として勤めている。
長い記事にはなったが、三兄弟で主将を努めさらに全員クリーンナップを担うというのは稀であり凄いとしか言いようがない。また長男の翔太も地元の高校の一期生の野球部として活躍している。
今回は押川兄弟に着目したが、これからも高校野球やプロ野球など気になった事を記事にしていこうと思う。
※画像は画像館参照
押川雄太郎
押川龍太
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