ディワリ舞踊祭が近くなって、ふと昨年の秋の事を思い出しました。
昨年の夏の終わりら父が調子を崩し、このまま寝たきりになるのではないかという状態になりました。
急に介護が必要になり、母の負担が大きいので手伝う必要もあり、仕事の勉強で月一回行っていた東京行きもその余裕はなくなっていました。
それでも何とか予定を繰りあわせ、東京へ行く事にし、さらにクチプディダンスレッスンを無理矢理入れて、という時、クチプディの先生が急にイベントで踊られる事になりました。
どうしても着いて行きたくて、親の状態を確認した上で、半日だけ予定をずらして、そのイベントに着いていきました。
その時に観た踊りがストレスフルな状態の心をどんなにら慰めた事か、心の中に小さな光を見つけたような、そんな思いでした。
幸いにもそのイベントの時に先生の踊りがビデオに収められたので、その後何度も見返して、親の介護が始まるかもしれないという暗い憂鬱な時期を乗り切ったのでした。
幸いにも、その後父は回復し、弱々しくも自立して生活できております。
ディワリの語源、ディーパ(光)ヴァリ(列)の真の光の意味とは心の闇の中に灯る光ではないかと思うのです。
あの時、暗い心の中に光を灯したのは踊りを観ることでした。
何がその人にとって光であり闇であるのかは、それぞれですが、
このディワリ舞踊祭が、すでに準備段階から自分にとっての光になっていることは間違いなく、願わくばご覧頂いた誰かの心の光にもなれたらと思うのです。