何度も書いてしまうことになってしまっていますが、意図的に回避してきた陰謀論という分野に手を出してしまってから、今までに考えなくても良かったことを考えざるを得なくなってしまいました。常識を考えの土台と考えて思考停止していた事柄だったものが、非常識の考えに足を踏み入れてしまったので、何事もあり得る話となってしまったため思考の土台が消え去ってしまったのです。


何か別の土台を作らなければと考え、魂に訴え掛けてくるものを探せないかとこのブログを始め、自分の思考の整理をしようとしていました。あらゆるものに対して多大な情報があり過ぎ、自分の基準で取捨選択を行い、新たな土台を作り出せないかという試みです。ただ今のところ真実というものには到達できる位置にもいないですし、到達できないから自分の魂に照らし合わせ、自分の立ち位置をある程度定めようとしていました。


最近感じていることは、今まで常識と考えていた土台に代わる自分なりの別の土台を作ることは不可能ではないかということです。色々な論があり、好き嫌いの判断がつくことであれば、取り敢えずそれに従うことにはしていますが、真実はどうだろうと迷うことであれば、分からないという結論にしかなりません。なので一つの真実は存在しないという考えに今のところいます。何か一つの事実があるとして、その捉え方は人それぞれで、真実と言われるものも一つの捉え方に過ぎないという思いです。唯心論、唯識論は今までも知識として知っていましたし、言及もしてきました。陰謀論に足を踏み入れて、実感として日々その思いが強まっているという感覚です。


なので今は、自分の考えを一つに収斂することは不可能と諦めています。抽象度を高めて興味があることは理解できるようにしようとの考えです。どの論もよっぽど根拠に乏しいものは除いて、正しい、間違っているを判断することは難しく、現在の所の仮の結論を出すものは出して、ダメなものは放って置いて、情報空間を漂い、取り敢えず一つのフィルターを手に入れたと考えるようにしています。いろいろなフィルターの眼鏡がどんどん増えてきて、多くなってきたら要らないフィルターの眼鏡を少しづつ処分していこうと言うのが今のスタンスです。



 

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