ある紹介状を持ち、昭和大学横浜市北部病院で診察を受ける機会がありました。
簡単に、感想を書いておきます。

とりあえず星は4つにしておきますか。
★★★★


*医大病院って待ち時間長いの?*


医大病院、人が沢山いる。私はその分すごく待たされるものかと思っていました。

しかし、受診者データはシステム管制されています。

科の受付に自分の情報を出したら、すぐに中待合室。

そしてあまり待たずに、名前を呼ばれる。
検査もそうです。データがすぐに送られるのか、システマチックにどんどん進みます

そのシステマチックさがめまぐるしく、どんどん進みます。それは正直、ちょっと面白いです。
知的好奇心が強い人は、そう感じるのではないでしょうか。

最初は受付に自分の情報を提出したのに、そこには行かず、診察や検査が全て終わった後は、会計受付に行きます。

必要なデータが、離れた会計受付に送られているんです。これ、デジタルネイティブの私でもなんか慣れません。
だから支払いもすばやいです。

ロビーのクリスタルピアノを見ているヒマもありません。



*ドクターについて*

担当していただいた、耳鼻科の医師は、ドクター伊藤彩子先生
ドクター伊藤彩子は、若い女性ながらも、患者の私に親身になって下さるとても良い先生です
医大病院でこのような医師に出会えるとは思いませんでした。
2回診察していただいていますが、やはり良い方です。
彼女が見守る中ではありますが、若い研修医さんにたどたどしい診察も受けましたた。たどたどしさはありましたが、医師が育つためですし私は問題は感じませんでした。


*院内の雰囲気*

院内には、ローソン、タリーズコーヒー。
雰囲気は良いです。

そして都筑中央公園をそばに望む、緑優しい院外環境は、以前から昭和大学横浜市北部病院に興味を持つほど、心地良いものです。



*注意点*

大学病院は紹介料がないと、初診料が高く、昭和大学横浜市北部病院は5,000円もします。

病院のHPで、方針の案内があります。

方針ははっきりしています。

『医大病院でなきゃできないことをやります、あとは町医者を使って!』

解り易いものです。


どうかな?

というわけで好印象の昭和大学横浜市北部病院。
改善してほしい点を挙げると、

めまぐるしすぎるので、自分の診察券や診察情報用紙を、クリアファイルではなくて首から下げるバッグなどにしてほしいかも・・・。
自分がおばあさんだったら、と考えるのです。


これからも街の素敵な病院で居てください。
統合失調型パーソナリティ障害(統合失調型人格障害)では以下のような症状が見られます。

・他人と親密な関係を築きにくい
・考え方、行動、話し方が周りの人にエキセントリックな印象を他人に与えてしまう
・被害妄想的な考えを抱きやすい
・幽体離脱などの、非日常的体験がある
・感情が、その場の状況にそぐわない印象を他人に与える
・自分とは関係のない周囲の出来事を、あたかも自分に深い関係があるかのように受け止めやすい
・迷信、第6感、占いなど、超常現象的なものに、行動が影響されやすい


出典:統合失調型パーソナリティ障害の特徴・症状・治療法
参考:分裂病型人格障害(schizotypal personality disorder)


見つけてしまいました、お友達の様子そのものです。
(日付を遡って書きます)
統合失調「質」パーソナリティ障害と、症名は似ていますが症状は全く別になります。こちらは統合失調「型」。

彼女は統合失調症かな?と疑ってはいましたが、完全にそうでもなく…、パーソナリティ障害(いわゆるボーダー)は自他共に認めていたのですが…、それが組み合わさった障害があったわけですね。


統合失調症の水面下の症状と、パーソナリティ障害の症状が、それぞれお互いを増長させてしまったものなのでしょうね。


パーソナリティ障害の、自分は特別と思いたい願望
↑↓
統合失調症の不完全な症状の非日常性



妄想の上、絶縁されたとはいえ、放置すると統合失調症に移行してしまうケースもあるとのことなので心配です。


統合失調症の既往歴のある友人もいますが、本当に大変な病気なのです。
私は、許します。


仲良くしていたけれど、気に食わないことを言われてしまった。
当たり前にあること。人間同士だもの。
どんなに仲の良い人間でも、絶対にある。仲が良くなったからこそ、絶対に出てくる。

どうしても気になって、消化できない「気に食わないこと」を、相手に伝える。

相手は誠意を籠めて謝った。もっと仲良くなれた。
または、相手はそれが誤解だということを伝える。誤解が解けた。

もし、気に食わないことが気に食わないままでも、お互いが真剣に話しあうことができたと感じられたら、「気に食わないこと」を伝え合える関係だということがわかり、信頼は深まることになる。

でも伝えることは、勇気がいること。
反論されたらどうしよう、と思う。もっと自分が傷ついてしまう。
相手が誠意を見せてくれなかったら、と思う。もっと自分が傷ついてしまう。

自分が否定されるのが、怖いのだ。

結局、「何が気に食わなかったのか」伝えなければ、謝られることも、誤解が解けることもない。
そうしたら、嫌いになるしかない。その人そのものが「気に食わない人」になって。


仲良くしていた人が、「気に食わない人」になってしまった。
当たり前にあること。人間同士だもの。




良いと思う。
ぶつかったらもっと仲良くなれるかもしれないけれど、ぶつからなければ心は離れるだけ。

離れるだけならいいし、仕方ない。
ぶつかってまで友でいたいと思える人間だって、そう多くはない。

私だって、人にぶつかる価値があると思い始めたのは、ここ数年のことだ。
昔は誰もが遠く、孤独で、人にぶつかる前に諦めてばかりいた。





一方、気に食わなくなったからといって、それを本人に正々堂々と伝えもせずに、他の仲間の前で陰口を叩く。



「陰口」。



陰湿な、「女のいじめ」やね。



しかも、いじめっ子は仲間に悪口を浸透させるまで、相手に対して「いい顔」しか向けていない。
いじめられるほうは、連絡が疎遠になっただけにしか見えない間、その子との間の友情を信じているしかない。

その間に、いじめっ子は、いじめられっ子の悪口雑言を撒き散らしていた。
そして、仲が良かった時だからこそ話したことまでネタにして嘲笑っていた。



卑怯な、「女のいじめ」やね。



誰かと仲良くなっても、それは「他人」だし、絶対に「?」と思うことが連発する。
自分と違うところだらけだ。
仲良くなる、「友」になるということは、そもそも相手のヘンなことを沢山知ることだ。
信頼してるから、見せてしまうし、見えてしまう。


つまり、一度信頼し合った「友」だった人間なら、ヘンだと思ったことを沢山挙げて言いふらして、「いじめる」のは簡単にできること。




でもそれをするのは本当に卑怯な卑怯なことやね。



自分のことを信頼していた友の「ヘン」なところを、文句を、本人に言わずに陰口にする。
陰口にすれば自分の都合のいいように言えて、同意を得られるから楽やね。

自分が否定されないから、安心やね。卑怯やね。




卑怯な卑怯な「陰口いじめ」を、ネットでは簡単にできるんだ。




ネットに書いたものをオープンにしておけば10億人が見ることができる。
だから、オープンなネットに書いたことは、10億人に向けて言ったことと同じ。
汚らしい悪口雑言なんか書くのは、恐ろしいこと。
「○○さんが××と書いた」ことは、永遠にキャッシュに残ってしまう。10億人の前で。

汚い悪口雑言を言うためにネットを利用したいなら、せめて完全に匿名でやったならまだマシやね。
完全に匿名で誰にも知られないなら、単なる日記だからね。

でも、いじめっ子は完全に匿名にはしないんだよね。皆の目があるところでやる。
周りの同意を得て安心したいから、そして間接的に「いじめ相手」に見せていじめたいからね。



女の子に多い、ネットの陰口いじめ。






私は口は悪くてめちゃくちゃ言うけど、直接伝えられる距離に居る人の陰口は絶対に言わないよ。それは卑怯なことだから。
もし本人の居ないところで言ったら、同じことをいつか本人に直接言って道義を通してる。
本人のいないところで何か言いたかったら、本人のことを想像して、直接言えるところまでしか言わない。

一度信頼し合った「友」だった人間の、ヘンだと思ったことを沢山挙げて言いふらして、「いじめる」のは簡単にできることで、いじめられっ子が逆に「いじめっ子」に対して、嘲笑いじめをすることも、もちろん簡単なこと。

でも私はいくらいじめられてもそういうことはしないだろう。
友や、友だった人の言うことをネットで批判することもあるけれど、友だったからこそ知ったことは、ネタにしない。




それをしたのは、いじめられていた子だった。
いじめに反対していた子だった。
いじめられる痛みを知っていた子だった。
そういうことはしない子だと思っていた。



いじめられっ子は、いつかいじめる側に立ちやすい。
弱い心が、されたことをし返すチャンスを深層意識で伺っている。

今は、自分自身をいじめた子の気持ちがよくわかるだろう。
自分が否定されるのが怖い、弱い弱い心。

私もいじめられたことがあるから、いじめっ子の気持ちはよくわかる、その子の弱い弱い心がよくわかる。

弱くても弱い心に負けなかったら、強い。
でも、弱さに負けてしまったいじめっ子は、情けない。


私は弱い人間だけれど、弱い心に私は負けない。
誰かに文句があったら、本人に言う。勇気を出して。


本人には黙っておきながら、周りの人たちに言いふらして発散するのはラクなこと。
だけど卑怯なこと。











ネットは簡単に「陰口」ができる。
それは立派な「いじめ」。











いじめっ子、我が友。




これはネットに書いているけれど、「陰口」ではない。
何故なら、その子に同じことを伝えてあるからだ。



「卑怯なことはするな」「文句があるなら正々堂々と本人に言え」と。



返答はないし、一度見て以来、罵詈雑言に満ちたあの子の書いたものを私が自ら見ることはない。




憎しみが篭った私への下劣な罵詈雑言を目にして、可哀想になってしまった。
憎しみ合うことで寂しさを紛らわしたいのだろう。

でも、私は毎日幸せで守られていて、可哀想な女の子を憎むことはできないんだ。

あの子が友であったときに、沢山くれた感動、真心。

それを思えば、憎まれたとしても、憎む理由にはならないんだ。

どんな罵詈雑言を書かれようとも。



卑怯で情けないいじめっ子は、その子の一面でしかない。

陰口が多いのも、前から判っていた良くない一面だったけど、それもまた一面。
沢山ある良い面を、忘れはしない。
私は簡単に友は作らない。「それほどの人」でなければ友になれない。




私は、そんなあの子の卑怯な行いを許すし、許しています。
それが、沢山の心をくれたあの子に対する、せめてものお返しです。


どうか卑怯であったことは反省し、救われて欲しい。

本当は誰よりも優しい、淋しいあの子が、救われますように。