○本日は「今、私達は何を学ぶか」について少々投稿を致します。

 

1.まずは、学問に関して...「英語よりも国語と数学を!」

 

⇒極論言います。日本国における公用語は何でしょうか。

 そうです。"日本語"ですよね。

 

・現在、私も含めて正しい(まともな)日本語を話せる人は少なくなっています。

 世の中の流れは恐ろしいもので、省略語や横文字が使われるようになってきました。

 

・特に「やばい」という言葉は、最も恐ろしい用語です。

「びっくりした」「悲しい」「楽しい」「うれしい」「困っている」「感動した」「動揺している」など、その他様々な感情を集約した言葉だからです。

 勿論、その時々の流行はあるでしょう。しかし、私が人を信頼できる特性の1つとして、言葉遣いが欠かせません。加えて、言葉で感情を表現する力がある人は、とても魅力的に見えます。

 やはり、日本語力をつける第1歩として、言葉に興味を持ち、言葉を知り、意味を知る事からではないかと思うのです。ご自身の日本語が「正しく使えている」のか、「自分の感情を言葉で上手く表現できているだろうか」...今一度、問うていただきたいのです。

 国語にはそれらが溢れて居ります。学校の教科書では足りません。読書をされてみてください。

 最初は本に触れるだけでもいいです。表紙を見るだけでもかまいません。その本の「感触」「紙の匂い」「表紙や文章を視覚的に入れる」など、大いに5感を活かしていただきたいです。

 

まずは、視界に入れて、触れること。是非お試しください。😊 

 

 

 

 

・皆様は「和算」をご存じでしょうか。

 日本の伝統数学であります。

⇒和算を語る上で欠かせない人物が関孝和です。

 広くは知られていませんが、すごいことを成し得た方なのです。

 

延宝2年(和暦2324年:西暦1674年) 

 『発微算法』を著し、点竄術(てんざんじゅつ)による代数の計算法を発明して、高等数学として発展するための基礎を作りました。

 

延宝9年、天和元年(和暦2341年:西暦1681年)

 暦の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、正131072角形を使って小数第11位まで算出していました。関孝和が最終的に算出した近似値は「3.141592653589微弱」でしたが、エイトケンのΔ2乗加速法を用いた途中計算では小数点以下第16位まで正確に求めている。

 ベルヌーイ数をヤコブ・ベルヌーイより独立かつやや早くに発見していました。

 

※関孝和の業績は日本でも長らく忘却されていたが、フランス人Brezinski(1991年)に指摘されて再発見されました。西洋において、エイトケンのΔ2乗加速法が導入されたのはそれから約200年後(明治9年:和暦2536年:西暦1876年)であり、H.von.nagelsbach(1876年)によるものです。

 エイトケンのΔ2乗加速法という名前で今日呼ばれる様になったのはさらに後の、アレクサンダー・エイトケンの論文(1926年)からきています。 

 

 一方で、西洋の微分積分学の発展より前に、方程式の球根の際に導関数に相当するものを計算したり、求長・求積に関する業績を上げており、今日の微分法積分法の基礎を発見していました。

 関孝和がアイザック・ニュートンゴットフリート・ライプニッツよりも前に微分積分学を創始したとするには異論がありますが、基礎の発見を先に成し得ていたのは事実であります。

 

 無理数などの不尽数を連分数や分数で近似する零約術についても論じている。

 

・上記のわずかな経歴だけでも、日本人として誇らしい方であることが分かるのではないでしょうか。しかし明治以降、日本で発展し続けた『和算』に打って変わって、約200年発展が遅れている『洋算』が導入され、現在に至って居ります。

 元々、数学は日本が得意としてきた分野であります。数学に触れる際には、頭の片隅にこの投稿を思い出して頂けたら嬉しいです。✨

 

 最後に、今回投稿させて頂いた内容は「学問」についてでした。記載内容を読んで頂いて、より日本のことを好きになり、より日本人として誇りが持てたらと思って投稿を続けて居ります。

 

 ご精読いただき大変感謝して居ります。

 

※これらが全てというわけではありません。

 私一個人の意見であるということをご周知いただけますと幸いです。

 

一部引用:Wikipedia 和算

     Wikipedia 関孝和