日本耳つぼアーティスト協会 認定アーティストです。
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””15年””
たつきくんの言う通り。
絶対 忘れたらあかんことって たくさんあるのに
忘れ去られてしまっていく。
その時間には黙祷できなかったけど
夜、父の祭壇に手を合わせながら
3.11から15年やで、、
って 父の遺影と話をしました。
15年前の3月10日、私は山梨県に出張で行ってました。京都帰ってきたら この地震。パソコンのモニターがグラングラン揺れて 吐きそうになったのも忘れない。
久しぶりの梅の花♪といっても花見じゃないよ
昨日やけど
父の通夜・告別式も終わって
一晩 経って 母がやっぱり元気もないし
1人でご飯食べるのも やっぱり寂しいやろしな
と 母の好きな 梅の花へ ほぼ
無理矢理?!笑 夜ご飯に連れて行きました😂
梅の花懐石「極」ーきわみー
を 頂きました😋
・嶺岡豆腐
・鮪の湯葉とろろ掛け
・茶碗蒸し
・湯葉豆腐とたぐり湯葉のお造り
・かにしゅうまい
・蓮根まんじゅう
・引き上げ湯葉
表面に湯葉が出来てたら お箸で角からすくいよせて 頂きます。
・生麩田楽
・湯葉揚げ
・銀だらの西京焼き
・湯葉吸物
・飯物
・香の物
・デザート
久しぶりに 母を食事に連れていってあげられた。
父が入院中は そんな気分になれへん、と いつも断られていたから😅
今回は たまには おいしいもん、食べにいこ!
と 父親の祭壇に いってきまーす!と 声をかけて 母を連れ出しました。
でも
母も 喜んで食べていたし 連れて行ってあげて良かったな。
これからは もっと
頻繁に 母を食事やら お出かけに 連れて出ようと思う。
そうしやな ほんまにボケるーーー!
ただでさえ、かなりやばいのに🥺🥺
刺激与えやんとあかんのやと思う。
私の推し活は ちょっと 後回しになるかもしれんけど、今は 家族優先で 頑張ろと思います。
ごちそうさまでした。
大好きな父との別れ
3月3日 大好きな父が 旅立ってしまいました😭
(かなり長文になります。私の日記だと思って スルーしてください。。。)
昨年10月31日 仕事から帰宅し、いつも通り車から降りて、玄関へ入ろうとした そのわずかな距離のわずかな段差で転倒し、動けなくなり 救急搬送されたのが 入院生活の始まりでした。
もともとペースメーカーを入れていることもあり、すぐにMRIが撮れず、レントゲン、CTだけでは骨折は確認されず。
本人が痛いと言っている部位は 腫れてもおらず、色も変化もなし。
色々検査をしていくうちに 貧血がひどいことや、血圧が低いこととか かかりつけ医で 治療している病気や症状まで検査の結果で 全部説明しなきゃいけないし、邪魔臭いなーと思いながらも 全部説明した上で とりあえず 右大腿骨あたりの強打で動けないから、と緊急入院しました。
本人が 常に痛いわけでもなく、痛くないときもあるとか、言ったりもしたこともあり、医師は骨折を疑いもせず、リハビリをすすめていきました。
が、リハビリが痛くてできない、と本人が拒否をし、入院=寝たきり生活の始まりでした。
入院から約1ヶ月後、MRIを撮って 大腿骨骨折が見つかり、緊急手術。
翌日には立てるから!と医師は言ったけど、私は絶対立てるわけないやん、と思ってた。
もともと 心不全、COPDで高濃度酸素吸いながら、車椅子で日常生活過ごしていた人に、そんな体力あるわけない、1ヶ月寝たきりやったのに筋力あるわけない、と思ってた。
案の定、術後 立てない。それどころか1ヶ月の寝たきり生活での 床ずれがひどくて 寝てるのも痛くてツライと ほんまにつらそうやった。
けど 同時に 従来からの重度な貧血と低血圧が悪化していた。病院食が 不味くて食べたくないと、ほとんど食事を摂らなくなっていたから、どんどん何もかも悪い方へと進んでしまった。
もともと 心不全もあるため、色々な食事制限もあったし、病院では いっさい食べ物持ち込み禁止とされていたし、薬やと思って 頑張ってご飯食べて!と父にいつも言いながらも、食べないやろうなと思ったから、毎日 夕食期に面会に行きなんとかして、ご飯を食べさせようとしていた。
一向に貧血の数値が上がらず 輸血をしても その時、少しは数値があがるけど、持続できず、何度も何度も輸血もした。
貧血の原因が内臓にあるかもしれないからと、胃カメラ、大腸カメラもやった。
そしたら大腸癌が みつかった。。。
けど、大腸癌の手術がうけられる体力も無いし、肺機能もかなり衰えていたので、今は全身麻酔での手術は無理、と言われ とりあえず 体力がもう少し戻るのを待とう。
としていたら 次は 感染性心内膜炎 が発覚。
大腸癌より重篤だと言われ 感染性心内膜炎の治療がはじまった。
そして 3月2日 主治医に呼び出され、感染性心内膜炎の治療が翌日3日に終了する予定で、今後の治療方針について 主治医、内科部長、看護師長、看護師他 たくさんの関係者に 取り囲まれて 話をした。
すでに 嚥下がダメで 口からモノを入れることが出来なくなってしまっていたので、夜ご飯は 医者に許可されている 高脂質の高カロリーのアイスクリーム🍨を ゆっくり食べさせてあげるだけでした。
だから 何度か 誤嚥性肺炎を起こしかけたりもして 常に何かと 闘病中。みたいな 4ヶ月の入院生活だった。
今後の治療方針の話を聞き、また輸血が必要だと言われ、書類にサインしたりして その後 父の病室へ行き、いつもの夕食の時間になったけど、いつも以上に呼吸がしんどそうで、酸素マスクしてたけど、完全に口呼吸でめっちゃ息が早くて。。。
何か喋ろうとするんだけど、しゃべれなくて。。でも はっきりと私の名前呼んで。あとは言葉にはならなかったけど、仕草で分かったから、喉乾いたから水飲みたいんやんな?と 父に聞いたらうん、うん、と頷いたけど、看護師さんに今は ダメです。酸素状態が落ち着いたら、飲もうね、と言われ、飲ませてあげられなかった。父がウトウトしだしたから
ほな帰るわなー。また明日なー。
と 帰ろうと 毎日恒例の握手をして帰った。
おやすみー!ゆっくり寝ーやぁー
と言って病室を出るとき、
びっくりするくらい大きな声で
ありがとーー
と 父が言った。ほんまに 大きな声やった。
今月に入ってから、父が熱を出していたり、いつも以上に息が苦しそうで、血中酸素濃度が 高くても88 とか そら しんどいわな、、と看護師さん呼んで 酸素上げてほしい。とお願いして 酸素を増やしてもらったり、、なんか あまり状態が良く無いなぁとは思ってたけど、明日で感染症の治療も終わるいうたはるしなー。。。
と 思いながら 帰宅。
夜、うたた寝してしまい ふと目が覚めたらマナーモードのまんまだったスマホが着信しているところで 表示が入院先の病院。。。
慌てて電話に出たら 呼吸状態がかなり悪いからそばにいてあげてもらう方がいいと思いますと。。3月3日AM1時30分頃でした。
急いで 母に電話して起こして、一緒に病院連れて行きました。着いた時は 看護師さんは まだ 反応あるので 意識はありますので!!
と おっしゃってたけど、すぐに 反応しなくなって。。。
ただ、ただ、苦しそうに ハーハー 息をしてる父を見てるだけしかできず。。
妹も到着。
そして1時間が経過。2時間が経過。
全く 容体に変化なし。サチュレーション安定。
3時間が経過し 下の弟も到着。
少し安定したかのように、本人も眠っていたし、母も病室の椅子で眠っていたから、妹に母を一旦連れて帰ってもらって。
朝6時半ごろ、もう1人の弟も到着。
本人 変わらず眠っている様子。
サチュレーション 問題なし。
朝7時過ぎ、下の弟が 一旦 会社行ってくるわ、と出かけ、父の容体に変化なかったから
大丈夫やろ、いってええよー。
と 言いながら 父の顔見ながら 私もお風呂入りたいわーとか 言いながら 上の弟も 俺も8時には会社行くわ。とか 話をしていた その時
ずっと 父の顔みていたんやけど あれ???
ちょっと待って、、、息してへんやん!!ノドも動いてへんやん!!
え?!でも サチュレーション 正常?!なにこれ!!!
おとーさん!!!!息してーーー!!!
と 私が 突然 大きな声で 叫んだから 弟もびっくりして 看護師さん呼んできて、、
でも
心臓動いてます。まだ 頑張ってはります!!
今のうちに、ご家族の皆さん連絡して下さい
と言われて 泣きながら
おとーさん 息止まってるけど
まだ、心臓動いてるーー
早く来てあげてーーーー
と 皆をも一度 呼び戻して、、息子らにも連絡し、最終的に心臓が止まり、死亡診断されるまで 小一時間。
ペースメーカーがついているからなんやろね。。
心拍が最後まで とまらなくて
サチュレーションの機械が アラーム鳴らなくて。。
普通、ピーーーって 心拍止まって 数字も 全て0 表示されるんやけど 最後の最後まで 血圧がふれたり、心拍が ピコンと動いたりしていた。。
前日の夜、喉乾いた!言うてるのに、飲ましてあげれなかったことが 悔やまれて悔やまれて こんなことなら、飲ましてあげたらよかったやんーーって 涙とまらんかった。おとーさん ごめんなーー喉乾いてるのわかってたのにーーーほんまに ごめんなーーと 泣き叫んだ。。
母も 80歳を過ぎてから 歳とったなーと感じることも多く、いろんなことが1人でできなくなってきていて、常に母は私に頼りきっていて、父の入院手続きも私がやったし、病院との連絡先は私やったし、医師と話するのも 毎日病院行くのも私やった。父の通夜、葬儀も私が全部仕切ってやった。
家族葬で それでも 立派な祭壇で 沢山のお花に囲まれて お見送りしてあげられたから 良かったと思う。。
通夜の夜、私と息子と3才の孫で 一緒にお泊まりをして 孫を寝かしつけてから 息子と一緒に献杯をして、色んな話を 父に聞いてもらった。
きっと ずっと そばで見守ってくれると思う。
父の大好きな初孫である、私の息子は 小学生の頃から尊敬する人はおじいちゃん!と 言い続けてきて、じぃじの後を継ぐのが夢だと 自分の道を自分で、決めて曲げなかった。そんな孫を きっと誇らしく思っていてくれるに違いない。
私も父を1番 尊敬しているし
本当に大好きな父だった。
ここ3年くらい ずっと父のこと介護していたけど、そんな父だからこそ私もずっと支えて来れたんやと思ってる。
お父さんの残してくれた この会社、姉弟力合わせて、守り続けます。そして、私の息子たちも一緒にずっとこの会社を存続させていきます。
本当にありがとう。
今まで本当にお疲れ様でした。
あちらの世界で 美味しいもの食べて、美味しいお酒飲んで、大好きなタバコ吸って、痛みも苦しみもない自由な世界で ずっと私らのこと見守っていてね。
お父さんの娘で良かった。
ほんまにありがとう。
来世でもあなたの娘でいさせてください。
これからも お母さんは私が ちゃんとみていてあげるから心配しないでね。
でも、見守ってあげててね。
強がりやけど 寂しいはずやから。。。
あーーーやっぱり お父さんが 意識あるうちに もっと ありがとうを いっぱい 伝えたかった。。。。
日頃から 一応 ありがとう は 口にはするようにしていたけど、色々 言えていない ありがとうがまだまだある。。。
会いたい。やっぱり 会いたいよ、、、
まさか あの転倒から こんな形で 81歳で亡くなってしまうなんて 思いもしなかった。。
会社の60周年の行事を考えようとしていたのに、そこに お父さんおらなあかんのに。。。
色んな思いが止まらない。
とめどなく出てくる
でも
やっぱり ありがとう
なんやろな。
長々とごめんなさい。













