マスターのブログ

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誰しもが必ず持つもの、それは価値観という名の正義。


それは生まれ育った環境による影響が大きく関わり、自我というものである。



その自我人は必ずこの観念に基づいて物事の良し悪しを判断し、勉強していると言っていいだろう。


日創研の研修に通っているとこの観念という部分に照準をあてて話をしてくることが多い。



自分の視野を広げるという点においてはこれは非常に効果的であるが、逆に自分を見失うという点において非常に危険である。



1年ほど前から段々と何かがゆっくりと、でも確実に音と立てて壊れていく感覚がありました。

自分の主観であり、バランスであり、家庭であり、職場であり・・・

自らの周りが何か不調和音を奏でているのは間違いありません。


加えて頭痛が多くなり、心底で眠っているはずの黒い部分が顔を出し、よく「死ねばいいのに」「殺してやりたい」等ぼそぼそっと口に出すようになってきました。

最近は筆を取り「殺」や「死」の文字をノートいっぱいに書き続けるといった事で心のバランスを取ろうとしている自分がいます。


現在のところは落ち着いているのですが、やはりあるキーワードを聞くと平静を保つことが困難になってます。


もちろん「日創研」です。



なぜこのような事になってきたのか。

日創研の研修と自我と社長との間に原因があるのだと確信しております。


当社の社長は、日創研に対して必ず「いい顔」をします。

社員の意見は基本的に無視します。

典型的トップダウン経営です。

幹部や社員に対して「こうしなさい」と言いますが、自分で言った事をほぼ忘れ10分後には誰がそんなことを言ったとなります。

また、幹部との話合いの場で言った言葉には絶句しました。

「社員の満足度や不満の解消は一切行わなくて良い」

「不満があるなら辞めてもらって結構」


この言葉は恐らく本心であると思われ、その結果と当社には深刻な人材不足となっています。

先代の社長から現在の社長へと受け継がれる中、その人格から70%程の人が辞められました。


従業員を大切にできない会社(社長)をどうして愛する事ができるのでしょうか?


疑問はそこにあります。


日創研の研修の教えのひとつは、こうです。


人財育成ができないと会社は永続することができない

社長力・管理力・現場力の三位一体とならなければ企業は成長することができない。だから勉強することが大事なのである。


もちろん当社の社長は日創研の研修を全て終わらせております。

その結果が上記のような発言なのでしょうか・・・


自社のことを悪く言ってますが、これは事実なのです。

私を含む他従業員や幹部達は社長に対して一切の尊敬の念や信頼を持つ事ができない状況にあります。現在残っている者は辞めるわけにはいかない状況の持ち主のみといって過言ではないと言えるでしょう。



ここで矛盾が生じてくるのです。


基本的に日創研の言ってる事は表面上、理論上は正論であることが多い、理想論を繰り広げています。

そこで勉強することにより、全てを理解した時そこに待っているのが当社の社長のような人間像なのであるのか・・・?

私は、断固社長のような人間になりたくないのです。


このあたりから自分は明確な社長に対する殺意にも似た不信感が芽生えてきました。ですが企業人として社会人としてそれを社長にぶつけることは、会社を辞める事を意味します。私にも何をおいても守るべき者がありますのでその判断は究極の最終決断ということになります。


その解決法が無い限り、それはストレスとなり自分に蓄積されていき、発散方法もない為、少しづつ何かが崩れさっていくのです。

人格であり、心のバランスであり、体調であり・・・

全てにおいて悪い方向へ進んでいくのです。


分析した結果(主に主観的ですが)結局、日創研の研修に行くことは人をダメにする。

と結論せざるをえないのです。


また、日創研からは宿題と名を打った広告活動(勧誘)等もあります。

この達成目標を達成させるように鬼のように電話やメールが入ってきます。これは、どうみてもマルチそのものです。

そしてこれを達成することを「本気で結果を出した」と意義付けるのです。


思ったままを一気に書きましたので、乱文となっていますが、あえて修正せずにこのままアップしたいと思います。


あくまでも主観的意見ですので、異を唱える方もいらっしゃるでしょう。勿論それで結構です。

ただ、こういった事実もあるのだという現実はそこに存在しています。私が伝えたかったことはこの一文につきます。