なぜか身長が8ミリ縮み


なぜか体重が一キロ増えとった







オワタ(^o^)/



ショックすぎたので今日はこれにて


ショウ

なんと金曜日の最高気温30度!!!!!


しぬ;y=ー( ゚д゚)・∵. ターン


ショウです




やはり木曜日はテンション上がる↑↑

(後ろは向かない~参照で。いつも長いタイトルですみませ…)


今日も思いっきり愚痴って笑いました

そろそろ奥さんに怒られる気がする笑



合言葉は「みんな嫌い」の私たち

でも聞かれました

「正直誰が一番嫌いなんだ。言ってみな(・∀・)ニヤニヤ」



だから上司は嫌いじゃないんですって

でも好きです!!って言うのもわざとらしい



じれんま(´∀`*)



今日は生徒に髪を切った理由を聞かれて困りました

理由なんてない

夏は暑いからじゃダメなのか!?




平気で嘘をつく大人がここにいます←


「好きな人に『切ったほうが似合うよ』って言われたからだよ~」




盛り上がる盛り上がる




でもお世辞だとわかっていても、短いのも似合うと言ってくれる女の子たち


先生はご満悦だよ笑


前髪をオンザ眉毛で切りすぎて悩んでいたところ


「そんな変じゃないよ」


という微妙なフォローを入れた上司とは大違い

(「そんな」ってことは結局変なんじゃないかぁぁぁぁぁぁぁぁ)




どんな人!?とか彼氏!?とか散々聞かれた挙句

先生頑張ってね!!と言われてしまいました


なにこれ超かわいい


でもごめんすべて嘘だ


今更言えない




ついでに生徒の恋の相談にも乗りました


青い…青い春だよ…


私も中学生に戻りたくなりました


思えばあのころが一番何にでも一生懸命だったなぁ


今…










みんな嫌い( ゚д゚)、ペッ





明日は健康診断があります


さーて、どんだけやつれたかを測ってやります


これも生徒との賭けで


「5教科合計が430以上取った子には体重教えるよ~」


なんて言ったもんだから、もりもり勉強し始めました


知ってどうするんだよ。・゚・(ノд`)・゚・。




明日は魔の金曜日…


テンション上がるよう皆さん祈っていてくださいな。





…今この時点では明日なんて来なければいいと思っているのですがね!!



ではではまた


ショウでした

お父さんにありがとうを伝えよう! ブログネタ:お父さんにありがとうを伝えよう! 参加中
21日は父の日ですね。

ショウです。



今日はちょっこし重い話になるかと思います。


が、


軽くよんでいただければと思います。







二ヶ月前に母が亡くなりました。
直腸がんでした。
6年6ヶ月にわたる闘病生活の末でした。


発病した当時、私は高校3年で
父も母も、私たちには黙っていることにしたそうです。
弟は高校1年、妹に至っては小学校4年だったので、そりゃ伝えるのも躊躇います。


入退院を繰り返していましたが、ただ体調が悪いのだと聞かされていました。

ここでとりあえず治ったものと思ったそうです。


そんななか、私は大学入学で仙台へ。


一人暮らしの私を心配して、母はよく電話をしてきました。
仙台へ来ようともしていました。

でも汚い部屋をみられるのが嫌で
口うるさく言われるのも嫌で

いつも反抗的な態度をとっていました。



そんななかでがんの再発です。



大学も卒業まで1年を切った頃、両親が部屋に来ました。


母には髪が生えていませんでした。

髪が抜け落ち、痩せ細る抗がん剤治療の特徴に当てはまりすぎる母を見ても

まさかな、くらいにしかおもいませんでした。



そんな病の体を押して、卒業式にも出席してもらいました。



社会人一年目。
勤務地は岐阜です

さらに実家から離れ、両親と顔を合わす機械がますます減りました。

家に帰れば寝るだけの生活。
電話もめっかりしなくなりました。


仕事に慣れ始めた9月頭。


父から珍しく仕事前に電話がありました。


「今まで黙っていたが、母さんはがんだ。
最近とみに調子が悪いから、医者と話をした。


…余命1ヶ月だ」




そんなのないですよ。


冬まで頑張って仕事やって、ボーナスで両親に旅行くらい用意してあげたいと思ってたのに。


実家にいないのに
一緒にいれないのに


その日は仕事なんてできなくて、上司に事情話して休みました。


1日泣きました。


次の日母から電話があり、いろいろ話しました。

父が怖かったので、私たち3兄弟の反抗期はすべて母に矛先がいってました。

でも部活の大会や保護者の集まりなんかには、忙しい合間を縫って必ず参加してくれていました。


子供が第一で、自分はいつも二の次の人でした。


今までの人生は楽しかったのかと尋ねずにはいられませんでした。


「あんたたちがいたから家にいられたんだよ」


母は言いました。
祖父母との折り合いがあまり良くなかったけど、我慢できたのは私たちのおかげだと。


こうやって腹を割って話せたから、いつでも逝ける、なんていってました。


それでも余命宣告から半年たった3月、もぎ取った休みで帰った私を迎えた母は
もはや歩けず、食べれず、モルヒネを服用するほどになっていました


もうだめかもしれないと


直感的に思いました。

ずっと寝たきりなので、マッサージなんか定期的にやらないと床擦れが出来ちゃうんですよね。


介護士さんがつきっきりというわけにもいかないので、父が甲斐甲斐しくやっていました。


母はもうモルヒネで意識が朦朧としていたんですが、はっきりするときがたまにあって


また5人で並んで歩きたいよ
まだ死にたくないよ


としがみついて泣きました



そんなのねぇよ


思えば私が大学で家を出てから、家族全員が揃ったことがありません。


本当にやりきれなくなりました。

そんな当たり前のこともしてあげられなかった自分
なんてアホなんだろうと。

父もそんな私たちを見て静かに泣いていました。


帰るときも、帰らないで、そばにいて、とすがりました



今思えば、最期を看取るまでいればよかった。



それから一ヶ月後、ゴールデンウイークで私が帰省する前の日に息を引き取りました。


父と叔父が看病を交代していた時なので、父でさえ死に目にあえなかったそうです。


母が入院中、父が家事をすべてやってくれていました。

どれだけ大変でも、子供たちに辛そうな素振りを見せませんでした。


そんな父は、母の通夜でスターダストレビューの「木蘭の涙」を流しました。


泣かないようにするので精一杯でした。



いつまでも いつまでも
そばにいると言ってた
あなたは嘘つきだね
わたしを置き去りに



おとうさんとおかあさんのこどもでよかった。

いつもおかあさんにそっけなかったおとうさんだけど、
ちゃんとおかあさんのことすきで
さいごをしっかりかざってあげて

おとうさんは最高のだんさまだとおもいます。


絶対このぶろぐの存在は教えないけど
遠く離れた岐阜から、いつも思ってます。




お父さん、いつも本当にありがとう。
お母さんの事もあるんだから、体には本当に気を付けてね。


父の日なのに母との思い出ももりだくさんですが…

二ヶ月経ちますが、まだ書いててもりもり泣けますなぁ…


携帯から一気に打ったので、お見苦しい所が多々あると思いますが


まぁいつもの事なので!


いつもにまして長文乱文すみません。

ただ、これをよんでお父さんお母さんを大事にしようと思っていただければと。



では良い父の日を


ショウ