詳細は「フォンニィ・フォンニャットの虐殺 」、「ライタイハン 」、「ゴダイの虐殺 」、「タイビン村虐殺事件 」、および「タイヴィン虐殺 」を参照
1961年 11月 、クーデター により政権を掌握した朴正熙 国家再建最高会議議長 はアメリカを訪問するとケネディ大統領 に軍事政権の正統性を認めてもらうことやアメリカからの援助が減らされている状況を戦争特需によって打開することを意図してベトナムへの韓国軍の派兵を訴えた[2] 。ケネディ大統領は韓国の提案を当初は受け入れなかったが、ジョンソン大統領に代わると1964年 から段階的に韓国軍の派兵を受け入れた[2] 。
1965年 から1972年 にかけて韓国では「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」をスローガンに官民挙げてのベトナム特需に群がり三星 、現代 、韓進 、大宇 などの財閥が誕生した[2] 。アメリカはその見返りとして、韓国が導入した外資40億ドルの半分である20億ドルを直接負担し、その他の負担分も斡旋し、日本 からは11億ドル、西ドイツ などの西欧諸国からは10億3千万ドル調達した。また、戦争に関わった韓国軍 人、技術者、建設者、用役軍納などの貿易外特需(7億4千万ドル)や軍事援助(1960年代 後半の5年間で17億ドル)などによって、韓国は漢江の奇跡 と呼ばれる高度成長を果たした[3] 。
1965年8月13日に、韓国国会 がベトナム派兵に同意する[4] 。1965年10月には、陸戦部隊である大韓民国陸軍 陸軍首都師団(通称:猛虎部隊)1万数千を派兵して本格的に参戦、国内の最精鋭部隊を投入し、1966年9月3日には同陸軍第9師団(通称:白馬部隊)もベトナムに上陸する[5] 。
タイ王国 やフィリピン 、オーストラリア 、ニュージーランド などを含むSEATOの加盟国も、アメリカの要請によりベトナムへ各国の軍隊を派兵したが、韓国軍はSEATO派兵総数の約4倍の規模で、アメリカ以外の国としては最大の兵力を投入した。これは、米韓の協定により、派兵規模に応じた補助金と対米移民枠を得られたこと、軍事統制権をアメリカが持っており自身に権利が無かったこと、さらに韓国自体が、北朝鮮 や中華人民共和国などの軍事的脅威を身近に感じていたため、共産主義勢力の伸張に対して強い危機感を持っていたことが理由である。
この派兵の際、各地で韓国軍による戦争犯罪 があったとされ、韓国軍兵士は少なくともベトナム人住民9000人を虐殺 し[2] 、強姦 事件なども起こした。また、30万人を超す犠牲者の数だったとも言われている[6] 。 生存者の韓国軍の行為に関する証言で共通な点は、無差別機銃掃射や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などが挙げられている[7] 。また韓国人とベトナム人女性との間に多数の韓越混血児が生まれたことが確認されている(「ライタイハン 」)。1966年2月、ビンディン省 タイビン村 では韓国軍猛虎部隊が住民68名を集めて婦女子を含む65名を虐殺している[2] 。
韓国ってやたら日本に賠償請求してくるけどその度に日本は何回かお金渡してるけど
韓国って他の国から賠償請求来たら戦争時の事なので払う必要が無いとか言ってたりしてるんだよね
おかしいよね?戦争時の事だから払う必要が無いとか言っといて日本には請求してくるなんて
