文章を読み始めると、先を知りたくなります。この先どうなるのかが気になるのです。そうなると先を読む意欲が高まります。それが、自然な読みの姿勢です。読み取らなければならないという課題があると、読みがキツくなります。読みの姿勢・自然の姿からかけ離れた読みの授業が成されているのが、今の教室での読みの大方の姿なのではないでしょうか? こな辺が自覚されていないように思われてなりません。
子どもたちが声を揃えてまず全文を読み通したり、教師の範読を聞いたりして全体を知ってから、読み取る学習課題を決めて精読をしていくという授業スタイルがほとんどだと思います。場合によっては、教科書に付いているCDを流して聞くという方法をとる方もいます。教師の範読は教師の作品解釈に乗った音声化された作品世界を子どもたちは経験します。自分の音読に自信がなければ、プロの読みに頼るようになるでしょう。余計なことですが、教室の子どもにとっては、担任の先生の音読のほうが良いのです。身近な人の声が安心できるのです。読み聞かせは担任の先生が行うべきだと思います。
学習課題の設定=学習問題は、子どものつぶやき・初発の感想などから作られていきます。教師の読み取らせたいと考える内容が選択されていきます。子どもの主体性を引き出すためには、「○○さんの疑問にみんなで答えよう」といった呼びかけが効果的です。証拠や根拠になりそうな所に線を引かせるなどの方法で話し合いの素地を作っていきます。それを元にああでもないこうでもないと論議ができれば最高です。こうした時間を2~3時間維持するのは大変です。教師の発問・補助発問を繰り返さないと、話し合いが続かなくなります。
こうした授業を受けてきた人は、この状態に疑問を感じないことが多いのです。自分の発問の悪さを気にしたり、その他の活動で時間を使ったりします。中には、全文書き写しをさせている先生もいました。根本から考えを変えたらどうでしょう。全文通読をしないのです。発想の転換です。先がどうなるかに興味を持つ読みの自然な姿を教室で実践するのです。教科書の1~2ページの切れ目のところで、話し合うのです。子どもに、そこまでで分かったこと・思ったこと・疑問などを出させて、話し合っていくのです。そして、先を予想させて、次の時間に回すのです。次の時間への期待が教室を支配していきます。
山岡寛樹