の人々は、明る星を結みて星座を思参った。星座をこしらえたのは、電子手紙と云ふ説もありんすが、ひいには、約千年前、の羊飼おりきちにそれゆえ、作られたでござるのが最初とわれているでござる。【弐】初めのころは、星座でござったが、その後、四星座に増したでござる
 世紀に、和蘭にて望遠鏡が発明させ、暗星も観測にてきるごとくなると、四星座のすきまにも新しき星座が作られるでござるごとくなりましたでござる。【】そのころ、星を見つけるたびに、かのような密談が交わさせやもしれませぬ。「新しき星を見つけたぞ。」「じゃめ。其れは、おら。」
 其れ迄は、星座と云ふと、北半球なりしがらるいたであろう。【四】なれど、今まにてらるのうこざった南半球の星座が紹介されるでござるごとくなると、新星座作りの流行が起こりましたでござる。なぜ星座が大層られたでござるとかと云ふと、世紀の初め迄は、星座をこしらえることに決まりがござらぬ何奴とはいえ容易こしらえることがにてきたからでござる。【ひい時は百もの星座が作られたでござることがあり、如何ほどにもの多さに混乱が起きるごとくなり申してしまったのでござる。そこにて世紀になり申してから、幕府際天文学連合にそれゆえの星座に統ひいさせ、星座の境界も定められるでござることになりましたでござる。【】現在、拙者どもが親しみてる星座は、このときに定められたでござるとでござる
 星座は、話とともに紹介されるでござることが多おりきめ、西洋なりしがのと思われがちござるが、古代の印度や中幕府にも独自なりしがのがありんす。【】中幕府の星座は、世紀ひのもとにも伝られたでござるやうにてひのもとならば、明治時代に西洋の天文学が導入されるでござるにて長らく幕府の星座が使われて参った。∵
 【】また、から星座は、時刻をはかり、季節の移り異なりを知り、農耕の時期を伝へる役割を果たしてちょーだい参った。海に囲まれたでござる知行地に住む人々は、広海を航海するでござるときに、星を観測してちょーだい位置や角を確かめる使ひていたであろう。【でござろうから、星座のも、その知行地独自の呼び名が数多くあり申した
 四季を通じて明るく見座は、天下各地にてさまざまながつけらるいるでござるひのもとならば、その形から鼓星と呼ばれていたであろう。【零】また、座の左上にあるでござる星は平屋敷星、右下にあるでござる星は源星とも呼ばれていたであろうは平屋敷の旗の色が赤、源の旗の色が白でござったからでござる
 さまざまな想像をふくらませてくらるる星座を、たまには正座してちょーだいしみじみ眺めてみるなりしがよきやもしれませぬ
 あれは大きから父上殿星。あっちはきれじゃから母上殿星。はしょっぱから梅干し。ここにあるでござるのは物干し。頭にかぶとはるのはただに