「時効」と処罰感情と証拠 | 福岡の弁護士 矢口耕太郎のブログ

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こんにちは!弁護士の矢口です。


今日はゴールデンウイークということもあり,のんびりとしています。



先月の27日,改正刑事訴訟法が施行されました。


今回の改正によって,殺人罪や強盗殺人などの罪については,時効がなくなりました(前は25年)。


他の罪についても,人を死亡させた罪については時効が大幅に延長されることになりました。



今日は刑事事件の時効について少し考えてみたいと思います。



そもそも,どうして刑事事件に時効という制度があるのでしょうか。



一般的には,



・長年時が経過すると,処罰感情や被害者感情が薄れてくる


・証拠となるものが時の経過とともに段々と失われていく



だから,時効という制度が必要なんだと説明されています。




そうすると,確かに人を死亡させたような重大な事件については



・処罰感情や被害者感情はいくら長年経っても薄れることはない


・科学技術が進歩して,証拠が失われることもなくなってきた



と考えれば,時効をなくすべきであるという考えになります。


今回の改正もそうした声を反映したものだろうと思います。



ただ,刑事事件の証拠はなにもDNAとかそういったものに限られるものではありません。



重要な証拠として,「人証」というのがあります。事件の目撃者とかアリバイを証言する人とか,人それ自体が証拠となる場合ですね。


こういった人証というのは,「自分の記憶」をもとに裁判所で証言して,それが証拠になります。



人の記憶が時の経過にしたがって失われていくのは,誰が見ても明らかです。何十年もたつと証人が死んでしまう可能性もあります。



そうすると,仮に間違えて逮捕された,逮捕された人が無罪だったという場合,長年たってしまうと無罪を証明してくれるはずの証人がいなくなってしまう可能性があります。


特に,重大事件の場合,捜査機関も何とかして立件しようとするでしょうから,誤って間違えて逮捕する可能性というのは多分にあると思います。



そんなとき,DNAが一致していたという理由で起訴されてしまったら,それだけで有罪としてしまって大丈夫なのでしょうか。



「時の経過によって,無罪の証拠はだんだんと失われていく」というのは,否定できない気がします。




時効の廃止に反対するわけではありませんが,


事件の後から何十年も経過した後の捜査には,絶対に無実の人が有罪になることがないようにする慎重な配慮が必要だと思います。