9日は、午後から日本共産党洛南地区委員会の年に一度の定期大会(党会議)が宇治市内で開かれ、僕も決意表明をさせていただきました。
この日の夜、京都府学連(京都府学生自治会連合)の再建40周年を記念し、「京都の学生運動と社会進歩を語るつどい」が京都市内で開かれたので、出席してきました。
僕は、1990年から1年間、京都府学連の委員長をやらせていただきました。
懐かしい仲間にも会うことができ、楽しいひと時でした。
また、このつどいには、
学生時代に府学連や大学自治会の役員をつとめた井上さとし参院議員
(京都府委員会時代は、僕の「上司」でした)
成宮まり子参院京都選挙区候補、(どなたかの写真をパチリとw、
バイクにのり、アクティブな成宮さんは、写真をとられるだけでなく
自分からも撮りに行きますw)
そしてこの日記者発表されたばかりの吉田幸一衆院京都4区候補も発言、
(K-1ファイターのような体格ですが、めちゃめちゃやさしいナイスな男。
悪政をKOするために、お互いにがんばろう!)
市田忠義書記局長のメッセージも紹介されました。
最後に、「国際学生連盟の歌」を歌いました。
円山野外音楽堂での集会のあと、祇園から四条河原町、河原町三条から京都市役所前へ。デモをすると、いつもこの歌をうたっていました。(汗
懐かしさがこみあげました。
記念誌『京都の学生運動と社会進歩を語る』が配られました。そこへ、僕が寄稿した一文をご紹介します。
私は、1990年2月から1年間、府学連委員長をつとめました。立命館大学の4回生でした。「24時間闘えますか」という栄養剤ドリンクのCMがカラオケでも好んで歌われるほど、バブルの絶頂を極めていた時代を前後して、府学連で活動しました。
4月の新入生歓迎の「春のビッグフェスティバル」、そして当時は、イラク戦争で海部内閣が多国籍軍への支援策を発表、「国連平和維持活動協力法案」の成立を許さない国民的なたたかいが大きくまきおこる中、各大学での学習会や国会要請活動などを活発に行ったことが、強く印象に残っています。
「全学連列車」という夜行の電車に揺られながら、電車のなかで多くの仲間たちと熱く語りながら夜を明かしたのも、懐かしい思い出です。
雇用と平和を脅かす動きは、当時以上に強まっています。同時に府学連での活動でいかにたたかうか、も学ぶことができました。当時の活動があるからいまの私があるーー京都府学連での活動は、私の歩む道を大きく示してくれたといっても言い過ぎではありません。
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