昨日、3/2020時に
フランウェイ第二段
「歓喜の歌」の本編が配信されました。
沼津の江月寺で撮影させていただいたのですが、
テイクを重ね


何回

摩訶般若波羅蜜 心経

羯諦 羯諦 

波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

羯諦 羯諦 般若心経

色即是空

空即是色

と唱えたことか。

今までにこんなに何回も唱えたことはないだろう。


般若心経
お経の文字に込められた意味を理解するのは、難しいと言われている。

確かに、
有るようで無い
無いようで有る

とか、
羯諦 羯諦 
は意味がない

とか

意味不明というか、
わからなすぎて、
諦めてしまう。


だけども、

ただやりたいからやる
そこに意味や理由理屈はいらない


意味は後から付いてくる。


ただ唱える

ただ歌う

意味があるかどうかは関係ない。

それはムダかもしれないし
バカかもしれない。

でも
やりたいからやる。

そして、
おもしろそう!

一緒にやりたい!
と、
ついていく者もいる

ついていくにも、理由はない。

「なんか面白そう」

それだけの感覚で動く。

無謀なことだと、
笑う人もいただろう。

「やりたい」の情熱に動かされ
渦に巻き込まれた人の手により
作品は完成した。


意味などない

ただ

この空の下で

今を生きるだけ

そんなことをぼんやり考えながら

配信をまた何度も観た。

あの世もこの世もない

優しい世界

確かに

それは存在する。

それを知ってしまった。

喜びも悲しみも
この空の下で味わう
いつか光に変わるその日まで
happy day


無性にお墓参りに行きたくなって、
雨の中出かけた。

何もわざわざ雨の日に出かけなくても
濡れちゃうよね

そういう雑念雑音は聞かない。

行きたいから行く。

お線香を手向け
手を合わす

それだけでよかったのだが

墓前に佇み
歓喜の歌をそこで流したくなった。

不謹慎?
非常識?

ここで、わたしが聞きたかったし、
ご先祖さまに聞いて欲しかった。
(別にここでなくても、聞けるよね)

雨の音にかき消されて
ちょうどいい

他に人もいなくて

雨の音とコラボして

心が洗われた。

あーー

この世に生まれてきたことに

ご先祖様に守っていただいていることに
感謝があふれる

優しく包まれている感覚

ここにいるだけで
存在するだけでいい。

幸せなことなんだ。