超直前期
なんともう2011年5月6日
新司まであと4日です!
超直前期程何をやっていいのか迷いますね。
直前だからこそ今までやってきたことをしっかりと見返したいと思います。
試験終わったら偉そうに勉強法とか
(受かったことを停止条件とした勉強法)
記載してみようと思います。
では今年受験の皆様最後まで全力で頑張りましょう!
【試験で注意すべきこと】
憲法:原告主張はあっさりとかつ説得的に(1番重要な事実の評価だけを!)
民法:時的要素に注意
会社:条文をとにかく探す姿勢(規則レベルをも厭わない勢い)
民訴:困ったら基本に戻る(というかいつも困るから知ってることをひっぱって書くしかない)
基本= 二重起訴の根拠 処分権主義 弁論主義 既判力の正当化根拠
刑法:盗品関与罪を忘れない。
縮小認定の場合の縮小された犯罪の認定に注意(公務執行妨害→暴行へ)
刑訴:捜査を書きすぎない(問題的に伝聞で相当差がつくと思われます)
択一:問題文を雑に読まないこと(特に時間があまる公法系:憲法注意)
全般:条文から解釈する姿勢 バランス(三段論法にこだわり過ぎない)
精神論:試験を楽しむこと(正直今試験が楽しみです 笑)
緊張感と余裕感のバランスが丁度いいときに人間は全力を発揮すると言われています
(確か茂木健一郎がいってた)
「楽しい」と感じるのは適度に緊張がありかつ余裕がある状態ですので
楽しむというのは試験を突破する上で最も合理的な精神状態であると思います
武者震い?ワクワクします。大体出る分野は予想できますが,
どーせ知ってることを直で聞く問題は出ないというのはわかっているので
本番でどう必死こくかがワクワクドキドキですね。
試験後まで ではでは。
原子力発電(原発)への危機感
原発の問題は一向に収束しませんね。
去年まで正直なところ原発の危険性を考えたことはありませんでした。
原発廃止論者でも推進論者でもありませんでした。
もんじゅ訴訟が行政法で問題となったことくらいの知識くらいしかありませんでした。
しかし,ここ数日で,原発には相当なる社会的コストがあることに気付かされました。
もはや安閑と原発の存在を無批判に承認することはできないでしょう。
原発を主軸に捉えたエネルギー政策はこれから「絶対に」進められないでしょう。
あれだけの被災者が出ておき原発を承認することは国民感情としてあり得ない。
というか絶対にやめた方が賢明です。国を滅ぼし,人類を滅ぼす危険があります。
仮に東電のいうように,原発が他のエネルギーの半分のコストでエネルギーを生産できるとしても,
(1) 人類…人の遺伝子が気付くつ可能性のあるリスク
(2) 周辺住民・・・周辺住民の事故を懸念する精神的ストレス
(3) 諸外国・・・海に放射性物質が流出してしまった場合の諸外国への賠償問題
+国際的な批判対象となるリスク
(4) 人間・・・現実に事故が発生した場合の事故処理のコスト,生命身体への侵害と賠償コスト
(5) 生態系・財産・・・生態系の変化,土地を失うことのリスク
(6) テロ・・・テロや戦争で狙われれば一瞬にして日本が崩壊するリスク
これは,明らかに原発固有の社会的リスクです。
また,原発は後処理も含め多くのコストが必要不可欠なようです。
そうすると,このエネルギーを使用していくのは得策ではありません。
エネルギー生産手段の大転換が必要な時期に差し掛かってきている様に思えます。
一つの案として太陽エネルギー (投資家からも期待されている)の利用が考えられます。
パネル作成には多くのエネルギーがかかって逆に非効率かつ非クリーンだという反論も考えられます。
しかし,それは現在の技術水準を前提としているからだと思います。
補助金等のインセンティブを高水準で与えれば技術は飛躍的に進化すると思います。
と最近のニュースを見ていて思った雑感です。
ネットがソースの完全に素人意見ですので,もう少し調べてエネルギーについて理解を深めたいですね。
「環境法」って意外に大事なのかも。司法試験終わったら勉強しよう。
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東北関東大震災
一週間が経ち関東は大分落ち着いてきました。
東北地方の被害は想像を絶する規模の様です。
僕らは一人でも多くの方が助かる様に祈ることしかできません。
このようなタイミングで僕らは司法試験を受けなければなりません。
最近は正直なところ,地震や原発への不安で勉強が手につきませんでした。
しかし,僕らにできることは今目の前にある勉強に一生懸命取り組むことだけです。
一生懸命勉強して早く弁護士になり,日本を復興する手助けをすることくらいしかできません。
頑張ります。
今年は不遇の年ですから,司法試験の合格者を大幅に減らすことは避けてほしいところですね。
(特に東北地方の受験生は大変な困難を強いられているのでなんらかの配慮が必要であるとも思えます)