「僕おばあちゃんが3人居るんです。すごい気まずかったです。」
「いや、それ計算合えへんやんか、いや、それ計算合えへんやんか。」
そうなんですよと認められても合わない数字の辻褄はそのまま、僕の興味はその実際問題どういった柵でそうなって云々からは遠く離れ、後半の「気まずかったです」に誘導され彼の言葉足らずの説明、舌っ足らずな話し方に気がいってしもて、その彼の次は、共にはははは、って云う笑いという始末。
「なあ、このこと書いてもええ?」
「別にいいっすよ。」
醸造関係の彼は、30+歳ながら見た目に若く、背筋のぴんとした好青年の印象、付き合いもそこそこに裏表のない所謂、結婚しないの?って、いや相手が居ればねえって方。
お小遣いたくさん貰えてええなあ、なんて発想も正論ながら、いやあんたそんなお金どっから貰って来たの、お母ちゃんら解ってんねんでなんて希有な経験もくらい、あるいはその中で孫っ子の気を惹こうとお年玉を含めた競争も有りかねないと、それ不謹慎でもやっぱええかもの頭の中。
僕の父方のおばあちゃんは、早くに亡くなり、会った事有るのか否かも解らん状態、母方おばあちゃんは長生きしてくれて、何年か前に大往生、で、会いに行けなかった僕は後悔の念を人並みに持ち合わせ、大家族で土建会社を営む親戚連中にも顔を見せづらい云々、遠いところでご冥福をなんていう不始末。
「風樹の嘆」を思い出した。
樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず。。
あさ8時近くまで飲んで、イエローキャブで帰宅の途、瞬きしたら自宅前の結末。
2008








