(以前書いたものですが掲載します)
私の友人には、少なくとも悪女が二人いる。
彼女らに共通しているのは、すべての男性に好かれようとする欲深さと、自分を冷静に見る頭の良さである。
二人とも、気づいたときには友達になっていた。本来「女の敵」である彼女らは、だから女友達がほとんどいないのだが、なぜか私はそういう人と仲良くなってしまう。
しかも、悪女たちはなぜか、「非・悪女」の私にいろいろ教えてくれるのである。男の人はこうやって翻弄するのよ、とか、電話口ではゆったりと甘えた調子で、とか。でも私は、好きでもない人に好かれるのはまっぴらだし、嫌いな人には自分から「嫌い」って態度に出しちゃうし、嫌われてもかまわないという考えだから、全く役に立たなかった。敵にはならないと見くびられてもいたんだろうなあと思う。
悪女は敵ではない「非・悪女」には寛大なので、私はよく、悪女に気がある男性が貢いだ高いお酒などをごちそうになっていた。
お酒を飲んでいても、いろんな男性が電話してきたり訪ねてきたりするが、悪女はむしろ私といることを楽しんで、適当にあしらっていた。誠実ではないが、不実でもないぐらいが、気を持たせるにはいいらしいと観察の結果理解した。
悪女には、女性特有の同等意識や、みんなに嫌われたくないという色気がないので、私はかえってつきあいやすかったように思う。変な謙遜もしないし、自分が一番いい女と思っているから、わかりやすくてよかった。
私は謙譲は決して美徳ではないと思う。「そんなことないよ」って言ってほしいのが見え見えなのは、どうもねえ。
悪女を目の前にしていると、ふと「私は悪女の友達なんだから、私にも素質があるかもしれない」と思えてきた。そして周りの人たちに「悪女になる」と宣言しては、「本当の悪女はそんなこと宣言しないもんだ」と笑われた。でも、悪女と私の倫理観はかなり一致していたんだけどなあ。私には何が欠けていたのか、今でも不思議に思う。
悪女はいまごろどうしているだろう?
悪女の一人は、歯牙にも引っかけなかった「アッシー君」を選んで幸せになり、すっかり毒気が抜けてしまった。もう一人は、イギリスへ留学していったきり、連絡が途絶えているけれど、やはりイギリスでも悪女ぶりを発揮したんだろうか? 悪女とイギリスは、あまり相性がよくないように思えるけど。
ちなみに、私のカラオケの十八番は、中島みゆきの「悪女」です。悪女でない女が切々と歌う「悪女」。