「世界遺産アンコールワット5日間」の旅から その6
 
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見た目にも、吹けば飛ぶような住居ですが、この国には地震はないし、台風もやってこないという。怖いのは雨季のカミナリだそうだ。
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トレサップ湖に向かう途中、高床式の家が続く。雨季はこの高さまで水が来るらしい。
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        流石、湖の近く、乾季であっても水田の水は潤っている。
             道路の両側に延々と水田は広がっていた。
 
210日(2014)月曜日
 三日目の2 自由行動
「トレッサップ湖クルーズ」
 1500からはトレンサップ湖クルーズ(夕食付:6,000円≒60分)のオプションに参加する。
トレンサップ湖は琵琶湖より5倍も広いと現地ガイドの説明だった。私は琵琶湖の広さにも驚いたが、トレンサップ湖はまるで海だった。雨期は乾期の3倍もの大きさに広がると言い、東南アジア最大の湖と言うから相当な広さだ。
トレンサップ湖はカンボジアの人々の食生活を支え、人々の生活の地としての湖。漁もすれば生活水にも利用する。高床式の家屋に住み学校や教会まであった。日本では決して見ることのできない水上生活の営みである。なんて書いただけでは何ともないが、驚くことばかりである。
 
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          湖上の野菜・果物売り屋さんと言う。
 
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        湖上の船の雑貨?お土産屋?さんの様子
 
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          平然とヘビを扱っていた少女
 
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教会と言う。
 
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湖上にはカンボジアとベトナムの学校があると言う。
 スペルを見たら、どうやらベトナムの学校のようだ。
ここはカンボジア国内だが、ベトナム人も数多く生活しているとのこと。
現地ガイドはポルポト政権のことは一切口にしなかったが、この時代の流れ
が複雑にしているのかもしれない。
 
土地を買うことが出来なく余儀なく水上生活を強いられていると言う。湖上の他の船の店に停泊していると、3人の子供を連れた女性が小舟に乗って物乞いに来た。その間、泣いている子供の口に湖の水を手ですくって、数回運んでいた。水上生活者の生活排泄物のすべてがこの湖に流されていると言うことを、ほんのひと時前に説明があったばかりである。ホテルの水道水すら飲んだらダメだと言われている中に、信じられない、見た事が本当だったかな、と言ったところだった。
 
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              物乞いに見えた湖上生活者
 
 
 現地ガイドからあらかじめ説明はあったが、小学3年ぐらいの子供が我々のクルーズ船に乗っていて、頼んでもいないのに、客の一人一人の肩を揉んでゆく。それぞれからチップ(1ドル)をもらうことにより学費に充足しているのだと言う。ここでは午前中と午後の学校に分かれているらしく、この子は午前中授業を済ませた子なのだろうか?
 
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        この男の子が全員の肩をたたいて回った。
 
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なかなかこの船から離れようとしなかった。飴をもらっている。
 
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投網をしている住民?
対岸は陸続きのようだった。
 
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お引越し中の家、だそうだ。
 
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2階建てのクルーズもあり
 
別な寺院の先々で女の子がスカーフを広げながら10$3枚とか、アンコールワットなどの写真集を手に8$だと言って、買ってくれと言う。それに対して10$5枚にしなさい、とか写真集を5$にしてくれとか同行の人たちが交渉する。衣類は製造元で購入するのならいいけれど、わけの判らんものは買わないで!!と釘を刺されていたので、彼女らの声に聞く耳を持たなかった。
後で知ったが、彼女らのスカーフは絹でなく綿だったらしい、このあたりの事情を現地のガイドさんがあらかじめその旨を説明していてくられたらいいのに、と思うことだった。幸いに?私は日本人が経営するお店で、絹か綿かは定かでないがそれよりはウンと割高なスカーフを家内のお土産として購入した。
取り扱う商品には胡弓もあれば太鼓もある、笛やセンス、花火、写真集、絵葉書もあった。いろんな物を観光客の列に寄り添って売りつけようと必死である。ちょっとでも耳を貸せば100mでもついてくる。小学2~3年ぐらいの女の子たちは笛やセンス、花火、絵葉書を扱っていた。
  
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イメージ 15一つ上の画像やこの画像はクルーズを終えて、ホテルの夕食に向かう途中。
  簡単に運べるものならば、欲しい籠があったと思われる。
 
現地ガイドからカンボジアには値段(定価)はない。売り子や店員とその場の値段交渉だと教えてもらっていても、子供らの売り子やこれ等に直接接すると、観光に来ている自分が何か虚無感と言うか無力感と言うか、罪悪感まではいかないまでも、東南アジアの旅ではいつも複雑な気持ちを抱いてしまう。
 
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     夕食をするホテルの玄関ロビーの一部
 
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             その食堂
 
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 夕食は別のホテルで予定されていた。料理はこの旅で初めての西洋料理という。私の宿泊しているホテルとは数段もランクアップのホテルのようだ、それはまず玄関ホールの創り。そして料理の野菜の盛り付けの工夫などでそれが感じられた。しかしながら、メインディシュはステーキとの説明があったが、霜降りは見られず見た目にもそれはまるでアルバータ牛と変わらない感じだ。口にしたら柔らかさなんて無い。アルバータ牛はかみしめるほど味を感じたが、かみしめても、かみしめても肉汁のおいしさは出てこなかった。他の同行者も同じような口当たりを感じたようだ。
(肉料理の画像を撮るのを忘れた、食べるのに一心)
 
投稿 2月20日(2014)木曜日 晴れ 2.5℃(7:00)