もも吉のブログ
よく、亡くなって直ぐに
葬儀と火葬する事もあるようだけど
実際、当事者になると
数日明けてくれたほうが
心の準備が出来るし
少し冷静になれるので
ありがたい。
が、とにかく長く住み続けており
父、母も兄夫婦も顔が広かったことが
地元の縁も半端なく
コロナ禍だった父の葬儀より
凄いことになりそうだ。
母のお棺に何を入れてあげようか
兄弟で思案しなければならないか。
ここ数年は通院ばかりで、
お気に入りの服とは?
建て替えもあったので、
大事な品など、
???な状況
長年世話してくれた、兄には感謝しつつ
母の穏やかな最後に安堵した夜。
実家の建て替えと、
コロナ禍の最中、父の死
5年ほど人工透析しつつ、
目と鼻の先に兄夫婦がいましたが、
一人で何とか通院しながらの
生活をしていたのですが、
大腿骨骨折で外出が減り
トイレに行くのもままならなくなり
透析中に意識を失い
検査の結果、心臓の弁の硬化により
人工弁の手術をし
介護度4認定
この数ヶ月、状況はどんどん悪くなって
嫌がっていたヘルパーさんに来てもらい始め
食事も食べられなくなり
好きな物を、食べられるだけ摂っていました。
心拍数、血圧低下、意識混濁
面会しても、目も開けられず
やがて、声かけに反応もしなくなり
……
その時が来たのは、
兄の子、内孫の結婚式当日。
叔父、叔母として参列し終え
自宅でいつも通り
寝ようと布団に入ったが
そこで兄夫婦から一報。
心拍が弱まった、と。
直ぐに準備していたら、
止まったと連絡。
急遽、今しがた脱いだ礼服と、
黒ストッキング、バックを
掻き集め、車を走らせた。
夜中高速で必死に走り
病院に駆けつけると
自分が一番遅くなったようで
皆が待っていた。
冷たくなりだした母と合い
涙をこらえ頬と髪を撫で、
よく頑張ったと声かけた。
すでに葬儀屋が待機していたことも
わからなかったのだが、
私が顔を見終えると
直ぐに黒の寝台車に乗せ
病院を出て行った。
実家に戻り、兄夫婦と最後の様子を聞き
とにかく今日の目まぐるしさから
お互いに身体を休めておこう、と
明日は、日曜日なので
できる事も限られてしまうが
葬儀屋との打ち合わせをしに
事務所へ。

