昨日の夜、録画していた「名探偵モンク」を何故かいつも以上にいたく共感しながら見終わったあと、急に部屋の掃除を始めたくなりまして、
まず手始めに、床の上へ長い間、積んであった宝の山の中に手を突っ込んだところ、
偶然、ずっと探していた或る一冊の本を見出すことになりました。
そして夜更けまでつい、その本に読みふけってしまい、今日もまだ部屋の至るところに宝の山を見ることになっています。
その書名は『逝きし世の面影』。
著者は在野の研究者・渡辺京二(1930~)、平凡社ライブラリーから1,900円で発売されています。
奥付には初出版2005年とあります。
実はこの本を私は、笑福亭竹林に勧められて購いました。
竹林が子育てを語る際によく引用している本です。
勧めた本人いわく、今、持っている本は四冊目で、前三冊はぼろぼろになるまで読み潰したのだそうです。
逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)/平凡社ところでいきなりですが、近代化する以前の日本、例えば江戸時代について、みなさんはどういったイメージをお持ちでしょう?
私はお恥ずかしいことに、漠然とこんなイメージを抱いておりました。つまり……
やつれた顔はいつもむっつりと無表情で、
上下関係は厳格、
それは親と子供の間も同じであって、親は子どもをしつけるために力をもってねじ伏せる……
一言で言えば「こんな時代に生まれたら、楽しいことなんてなかったんじゃないかなあ」と、江戸時代を生きている自分自身を想像して、思わず萎縮してしまうようなイメージです。
「だから、社会を良くするために明治維新があったのだな。やっぱり時代が進むにつれ、社会というものは進化していくものなのだなあ。輝かしい未来は、熾烈な競争の末に待っているものなのだ」、口をぽかんと開けながら、単純にそう思っていたのです。
江戸時代についてのそうした陰惨なイメージが、自分の勝手な思い込みにすぎないということを私は、この本で知ったわけなのです。
江戸時代の日本文明は、明治時代から本格的に始まった近代化と引き替えに滅亡していったと著者は書いています。
それはいつ死滅したのか。むろんそれは年代を確定できるような問題ではないし、またする必要もない。しかし、その余映は昭和前期においてさえまだかすかに認められたにせよ、明治末期にその滅亡がほぼ確認されていたことは確実である。そして、それを教えくれるのは実は異邦人観察者の著述なのである。(同書p.11)江戸末期から明治時代にかけて日本を視察しにやってきた欧米人の目を借りながら、著者はこの滅亡した日本文明を同書で描きます。
十九世紀中葉、日本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうあろうと、この国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった。ときには辛辣に日本を批判したオールコックさえ、「日本人はいろいろな欠点を持っているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」(オールコック『大君の都・上巻』岩波文庫、204ページ、1962年)と書いてある。(同書p.74)
或いはこうも言っています。
オズボーンは江戸上陸当日「不機嫌でむっつりした顔にはひとつとて」出会わなかったというが(Osborn, A Cruise in Japanese Waters, Edinburgh and London, 1859, p.150)、これはほとんどの欧米人観察者の眼にとまった当時の人びとの特徴だった。ボーヴォワルは言う。「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」(ボーヴォワル『ジャポン一八六七年』有隣堂、p.30、1984年)。(略)オイレンブルク使節団報告書の著者ベルク(A.Berg 生没年不詳)の見るところも変わらない。彼らは「話し合うときには冗談と笑いが興を添える。日本人は生まれつきそういう気質があるのである。(同書76~77頁)
正確なことはこの書を読んでいただくとして、大ざっぱにまとめて言えば、
日本人はおしなべて、親切心にあふれ、笑い上戸で好奇心に満ち、極彩色の自然と、工夫に満ちた生活様式の中、食物に困ることなく、むしろ十分に食べ、のびやかに生活していた
というように、彼ら、日本より進歩しているはずの社会からやって来た欧米人には見えたと言うのです。
またこの本の第十章「子どもの楽園」には、「親は子どもをしつけるために、力で子どもをねじ伏せる」という、私が勝手に抱いていたイメージとは全く正反対の、親と子供の活き活きとした姿が描かれています。
親の最大関心事は子供の教育ではあるが、だからといって親は子供を怒鳴りつけたり、罰したりすることなく、
それでいて子供たちは礼儀正しく、わがままも言わず、しかし嬉々として一日中、通りを元気に転げ回っている。
近代化を日本より先に成し遂げた国家からやってきた西洋人にはそう見えたのです。
欧米人の衆目を集めた子どものかわいさは、これまた彼らの驚嘆の的となった親たちの愛情と照応していた。そしてこの日本人の子どもへの異常ともみえる関心は、眼の色肌の色を異にする異邦の子どもたちにさえむけられたのである。(同書p.412)
子育ては親にとって楽しいこと、嬉しいことだったのかな。
子育てについて何も知らないながらに私は漠然とそう思いつつ、昨日、この本に読みふけっていたのでした。
「子どもの楽園」は「親の楽園」だったのかも。
愛することが受け入れられるのはこの世で最も貴重な特権だものな。