1859年、東京の伝馬町で処刑され、数え30という短い一生を終えた松陰


彼のこの短い一生は誰よりも濃く、誰よりも駆け足で、あまりにも駆け足すぎて、誰も付いていけず、誰も理解できなかった


多くの弟子がいたが、本当に理解した弟子は一握りだろう


師と弟子ではなく、「諸友」という言葉が彼の文から多く出てくる。

上からではなく、常に横から人を見、自分から学ぼうとした


とにかく多くの本を読み、知識を深めた。

そして、常に言っていた事は

学者になるな。

実行するのだ


彼は実行した

国禁を犯してまで外国船に乗り込もうと


失敗すると潔く自首をする


彼は正直すぎた


最後の評定のときにも、言わなければわかっていなかった幕府要人襲撃計画を話してしまい、

流罪で済むところが斬首という極刑に


あまりにも過激すぎる彼の考えに一人一人師の元を離れていく弟子たち


辛かっただろう

何で誰も自分の考えがわからないのか




あるとき高杉晋作が松陰に問うた


人の死に場所とは


松陰は答えた


死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし

生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし


死は好むべきではないが、決して憎むべきものでもない。世の中には肉体は生きていても心が死んでいる人がたくさんいる。逆に肉体は死んでも魂、心は行き続けている人もいる。心が死んでいてはいきている価値がない。死んで世の中の役に立つのならいつ死んでもいいが、生きて将来大きな仕事を成す可能性があるなら、そのときまでいき抜くのだ


今の感覚から言えばそうとう過激な言葉だと思います。

でも、それくらいの覚悟が必要だと。


今年の夏くらいに松陰の生涯を綴った本を出す予定です。私は本当にお手伝い程度なのですが、彼の日録を毎日読んでいると、今の世の中が本当にこれでいいのか、と真剣に考えます。

今こそ彼の精神、思いを伝えていかなければならないと。

昔は嫌いでした。宗教的だし、過激だなって。

だけど、それは上辺しか知らなかったからだなと思いました。松陰は本当に親思いで、他人思いで、「愛」のある人なんだって。



与えるものでももらうものでもない


何を言いたいのかよくわからんけど、とりあえず今年表作ってます☆