yabu1987のブログ

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 死ぬことを真剣に考えるブログです。

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ある日、高齢の父親がお風呂からなかなか出てこないことを不審に思い娘が見に行くと、そこには顔までお湯につかった父がいました。

急いでお風呂から上げ、救急車を呼んだそうです。

 

救急車での搬送時にはすでに心停止を起こしており、蘇生がおこなれました。

病院につき、蘇生の結果何とか再度心臓が動くことに成功しました。

しかし、心臓が動くまでに30分以上要しており、低酸素脳症となっている可能性が高くなっていました。

 

低酸素脳症とは、想像しやすくいうと植物状態になることです。(イメージしやすいように。厳密には違います…。)

 

集中治療室に入ったのち、娘に面会してもらいました。

父の変わり果てた姿に声を失っていました。

 

口から人工呼吸器を装着され、様々な管が体から出ている父の姿がありました。

声をかけても反応がない、目すら開けることない、ただ機械につながれている父でした。

 

その状況にショックを受けつつも、遠方に住む兄弟に連絡を取り救急医から説明を受けました。

医師からは

・心停止の時間が長く、低酸素脳症となっている可能性が高い。

・お風呂の水で肺炎を起こしている可能性が高い。

・高齢で持病もあり、再度心停止するリスクが高い。その時どうするのか。

 

といった説明でした。

 

 

 

 私には理想の死に方があります。

 

できるだけ、穏やかに。

できるだけ、苦しまず。

そして家族に笑って送り出してほしい、と思っています。

 

しかし現代日本では、私が望む死に方はとても難易度が高いと感じています。

私が望む「死」に「延命」はありません。

しかし、救命または医療の現場では当たり前のように「延命」が行われています。

 

それは当人が望む延命なのか、それともただいたずらに苦しい時間を増やしただけではないのか。

自分の死についてしっかり考えていないと、望まぬ生の時間を生み出すことになりかねません。

 

延命とは何かは、死を考えるうえで必須となってきます。

その人が望む生の時間をすごすために、望まぬ生の時間をいたずらに長くしないために。

 

死について考えよう。

 私が初めて死を意識した時は、中学生の時でした。

よくあることです。イジメでした。その時は、家族に迷惑をかけることや、死ぬとイジメたやつが喜ぶかもしれない事が嫌で自ら命を絶つことはしませんでした。

その後は、嫌なことはあったにせよ、死にたいと思う事はなくなっていました。

 

次に死を強く意識したのは、就職した時です。

職場では生と死が入り乱れていました。目を背けたくても、仕事上向き合わざる負えませんでした。

約5年間、救命という現場に身を置き、様々な患者・家族と出会い、

 

自分はどう死ぬのだろう、どう死にたいのだろう と考えるようになりました。

 

死の現場はあまり語られることなく、自分の死についてもタブー視され、意見を交わすことは少ないかと思います。

しかし、私は死に方こそ、生きることだと思うのです。

人は必ず、死にます。

生まれることは自分で準備できず、希望も言えませんが、死に方は準備や希望を伝えることができるのです。

後悔が少ない死に方を、一度は真剣にかんがえてもよいのではないでしょうか。

 

次回は、私の理想の死に方について書きたいと思います。

突然ですが、あなたはどう死にたいですか?

たいていの人は、

「家族に見守られて…。」

「天寿を全うして眠るように…。」

「海を見ながら…。」

など理想はあるでしょう。

 

中には、

「死に方なんて考えてないよ!不謹慎な!」

「今が楽しい(大変)から、先にことなんて考えないよ。」

という人もいるでしょう。

 

しかし私は、ふとした時に死について考えるのです。

どうしたら上手に死ねるのだろうか。そのために、何をしたらいいのか。

 

私は今、死に向かって生きています。

自分の理想とする死に向かって、準備を進めています。

 

このブログを通じて、皆さんが死について考えるきっかけになればうれしいと思います。