父から癌の可能性が高いと言われた日、一通りの家事を済ませてベッドに潜り込みました。


ただひたすら涙が止まらなかったです。

どうして母が、、

お酒も飲まず、タバコも吸わない。健康を気にして野菜もたくさん食べていたし外食もほとんどしないのに。

家族のために何十年も頑張ってきた母がどうして。


きっと母も病院のベッドで泣いてるんだろうな。

悲しんでいるんだろうな。


すでに父と母は担当医と話をしたけれど、どんな状態なのか、私も直接聞きたくて翌朝、病院に電話をしました。担当の看護師さんに母の様子を聞いたら、検査のための麻酔の影響か、昨夜はとてもぐっすり寝ていたとのこと。今朝は散歩をしたり、自分なりの時間を過ごしていますよと言われました。


あっさり、癌と言われてしまった母。

母の気持ちはきっと私と同じ。


看護師さんが日程調整をして下さり、翌々日に担当医師と面談の時間が取れました。

そして、母はその日、退院予定となりました。


面談日当日。

仕事を休み、病院へ向かいました。


最後の望みをかけるような気持ちで。

どうかどうか、癌ではありませんように、、、


担当医師がこれまでの検査の経緯と今週の検査で新たに分かった事があります、と言いました。


👨‍⚕️ERCP検査を行い、胆汁をとって生検に出した結果、癌細胞があることが確認できました。

血液検査の結果、通常150以下であるdupan2が500を超えているため膵臓癌の可能性が高いです。

あとは可能性として、胆嚢癌、胆管癌。

肺のCTを取りましたが問題は無さそうでした。あとは画像上、腹膜播種の可能性もあります。


面談時間は15分程度でした。

まさか、、の気持ちと、やっぱり、、とがっかりする気持ちが入り乱れました。


気持ちを強く持っていたので担当医師と母の前で泣くことはなかったです。

でも退院手続きで一人になった時、涙がボロボロ出てきました。


神様なんていないんだ。

おじいちゃん、おばあちゃん、母を守ってくれなかった。


そんな気持ちでした。

母は私の前では涙ひとつ流さず気丈に振る舞っていました。


退院手続きを終えて母と実家に帰りました。

途中でお弁当を買って帰ったけれど、父も母も手をつけませんでした。


実家は自営業なのですがその日、母は帰宅後家の仕事をして、父は会議があると出かけました。


母は私にコーヒーをいれてくれて、いつも通りのお母さんでした。

泣く事もなく、寝込むこともせず。


👵私はずーずーしいから10年位は生きるから大丈夫!!


と言ってくれました。その言葉を聞いたとき、母の前で涙が溢れてしまいました。


10年だって全然足りない。

母だって祖母みたいに95くらいまで生きるつもりでいたし、私もそう思ってた。

あと10年して私の子育てが落ち着いたら、父と母と旅行したいと思ってた。

あと20年したら施設に入る父と母に毎週会いに行くつもりだった。


思い描いていた未来が、急にあっという間に崩されてしまったようで、ただただ悲しい日でした。