ファロー四徴症
1888年、フランス人医師ファローにより報告された先天性心奇形の一種。
生まれた瞬間、この病気との闘いが始まりました。
脊柱側湾症
背骨が左右に曲がり変形してしまう病気。
小学5年生から、コルセットをつけた生活が始まりました。
パニック障害
強い不安感を主な症状とする精神疾患。
20歳頃から、過換気症候群(過呼吸発作)・過敏性腸症候群・広場恐怖症などに苦しめられました。
どんなときも、私と一緒に病気と闘ってくれてありがとう。
両親への感謝の気持ちは、言葉で言い表せないほどです。
「神様、どうか娘を苦しませないで下さい。私が身代わりになりますから…」
そう何度も、叶わない願いを叫び続けながら、
ただただ私を支え続けてくれている両親の苦しみの方が、
病気によって私が受けた、どんな痛みや苦しみよりも大きい…
そのことに気づいたとき、涙が止まりませんでした。
同じように苦しんでいるご両親へ、病気の娘から感謝のメッセージです。
定期健診
こちらのブログは、
一年半ぶりの更新になってしまいました。
でも実生活では、
将来の夢「病気の経験を本にする」に向かって、
一歩ずつ近づけている気がします。
さて昨年の11月のことになりますが、
東京に来てから初めて心臓病の診察を受けようと、
ある大学病院へ行きました。
北海道にいたときは、
ずっと小児科にかかっていたこともあり、
こちらでも小児循環器科へかかることになりました。
最近寝不足になると
気のせいか胸が苦しい感じになったり、
生理になると貧血で倒れてしまったりと、
いろいろな不都合があったので、
心臓に関係があるか先生に確認しようと思っていました。
また女性として気になること、
今の私は子供を産むことができるのか、
ということも聞いてみたいと思っていました。
しかし、実際診察を受けてみると、
「次回いろいろ検査をするので予約をするように」
とだけ言われ、聴診器で心臓の音を聞いて終わりでした。
「聞きたいことがいくつかあるのですが…」
と、上記に述べたことを聞いてみたのですが、
「検査をしてないから何も答えられませんよね?」
と少し面倒そうな言い方をされました。
確かにそうですが、
検査はもう半年後まで埋まっているということで、
なんと今年の6月1日になったんです。
そして、検査結果が出るまで時間がかかるので、
次の診察は7月になると言われました。
「検査結果うんぬんではなく、
せっかく診察していただいているのだから
例えば生理のたびになる貧血の対処方法や
(レバーを食べるなどしてはいますが…)
胸が苦しくなったらどうしたらいいか、
などの一般的な対処方法など、
今言えることだけでも教えていただけないですか?」
と聞いてみましたが、
「とにかく7月に検査結果が出てからですね」
の一点張りでした。
「7月までにもっと悪くなったらどうすればいいですか?」
と言ったら、
「悪くなりそうですか?」
と言われ…
「それはなってみないとわからないです」
と答えたら
「ではなったら病院に来てくださいね。
大丈夫です。私は循環器のことだけではなく、
子供を産めるかどうかの判断をしたりなど、
いろいろな分野を担当している医師ですから」
とのこと。
だったら、今できるアドバイスだけでもしてよ…
と思いました。
何かがあってからでは遅いので、
予防がしたいと思い病院に行ったのに、
結果7月までは何の対処もできないということになってしまいました。
今のところ体調は良いのでいいですが。
循環器科も婦人科もある大学病院の方が、
私のような既往症がある人にとっては
いろいろな対処をしてもらえるので良いですし、
この大学病院が良いと医療関係者からも聞いているので、
きちんと検査を受けて診察してもらおうと思いますが、
もっと人間味のある先生にかかりたいです。
そして、仕方のないことかもしれませんが、
検査が半年以上先ではないと受けられないと言う現実は、
変えることができないのか、
医療の現場の状況が心配です。
と、久しぶりの更新は文句になってしまいました…
またマイペースに更新しようと思います。
一年半ぶりの更新になってしまいました。
でも実生活では、
将来の夢「病気の経験を本にする」に向かって、
一歩ずつ近づけている気がします。
さて昨年の11月のことになりますが、
東京に来てから初めて心臓病の診察を受けようと、
ある大学病院へ行きました。
北海道にいたときは、
ずっと小児科にかかっていたこともあり、
こちらでも小児循環器科へかかることになりました。
最近寝不足になると
気のせいか胸が苦しい感じになったり、
生理になると貧血で倒れてしまったりと、
いろいろな不都合があったので、
心臓に関係があるか先生に確認しようと思っていました。
また女性として気になること、
今の私は子供を産むことができるのか、
ということも聞いてみたいと思っていました。
しかし、実際診察を受けてみると、
「次回いろいろ検査をするので予約をするように」
とだけ言われ、聴診器で心臓の音を聞いて終わりでした。
「聞きたいことがいくつかあるのですが…」
と、上記に述べたことを聞いてみたのですが、
「検査をしてないから何も答えられませんよね?」
と少し面倒そうな言い方をされました。
確かにそうですが、
検査はもう半年後まで埋まっているということで、
なんと今年の6月1日になったんです。
そして、検査結果が出るまで時間がかかるので、
次の診察は7月になると言われました。
「検査結果うんぬんではなく、
せっかく診察していただいているのだから
例えば生理のたびになる貧血の対処方法や
(レバーを食べるなどしてはいますが…)
胸が苦しくなったらどうしたらいいか、
などの一般的な対処方法など、
今言えることだけでも教えていただけないですか?」
と聞いてみましたが、
「とにかく7月に検査結果が出てからですね」
の一点張りでした。
「7月までにもっと悪くなったらどうすればいいですか?」
と言ったら、
「悪くなりそうですか?」
と言われ…
「それはなってみないとわからないです」
と答えたら
「ではなったら病院に来てくださいね。
大丈夫です。私は循環器のことだけではなく、
子供を産めるかどうかの判断をしたりなど、
いろいろな分野を担当している医師ですから」
とのこと。
だったら、今できるアドバイスだけでもしてよ…
と思いました。
何かがあってからでは遅いので、
予防がしたいと思い病院に行ったのに、
結果7月までは何の対処もできないということになってしまいました。
今のところ体調は良いのでいいですが。
循環器科も婦人科もある大学病院の方が、
私のような既往症がある人にとっては
いろいろな対処をしてもらえるので良いですし、
この大学病院が良いと医療関係者からも聞いているので、
きちんと検査を受けて診察してもらおうと思いますが、
もっと人間味のある先生にかかりたいです。
そして、仕方のないことかもしれませんが、
検査が半年以上先ではないと受けられないと言う現実は、
変えることができないのか、
医療の現場の状況が心配です。
と、久しぶりの更新は文句になってしまいました…
またマイペースに更新しようと思います。
育児記録
5月末に実家に帰ったとき、
『育児記録』という本を見つけたので、
東京に持って来ました。
子供の成長を写真と共に記録していくもので、
母の字で私の様子が書かれていました。
1~11ヶ月までは、
1ヶ月分ずつの記録、
初めてのお誕生日が過ぎてからは、
1年ごとの記録ができるようになっています。
最初の3ヶ月は、
私の様子が細かく書いてありましたが、
4~8ヶ月はところどころ、
9~11ヶ月は何も書いてありませんでした(笑)
でも、写真はきちんと貼ってあり、
成長の様子がよくわかります。
体重も最初の3ヶ月と、1歳のときしか記録されていませんが、
生まれたときの体重は3526gで、
当時の女の子の平均3100gよりも大きかったのに、
3ヶ月のときは身長は平均と同じくらいなのに対して、
体重は5450gと、平均の6400gよりかなり少なかったようです。
しかし、1歳の時は平均9100gに対し、
9000gと、だいぶ体重が増えたようで一安心。
そして、書かれている母の言葉を読むと、
どの時期のものでも、必ず「始終ニコニコしている」
「朝の目覚めがよく機嫌が良い」とあります。
今は朝起きてから数時間は具合が悪いのに(笑)
1歳のとき、初めて心臓の発作があったようで、
そのことも記録されていました。
『5月3日、連休のはじめの朝、初めての発作が起こる。
びっくりして病院に行く。
心電図を薬を飲まずに(眠り薬)とることができた。
発作はパパ・ママもさることながら、祐香自身も
びっくりしたことだろうと思う。
薬も増やされる。
祐香、頑張ろうね。』
もちろん、私はこのときのことを覚えていませんが、
初めての発作という大変なことがあり、
それをこのような文章で記録する中で、
悪いことだけではなく、
薬を飲まずに心電図をとることができた、
という良かったことを忘れずに書いている母は、
さすがのポジティブ思考だな、と思います。
私の究極のポジティブ思考は、母似だと思うんですよね。
途中から大雑把な記録になっていたとはいえ(笑)、
大切に育てられたことがよくわかる本で、
両親の温かさを改めて感じました。
両方の祖父からの寄せ書きもあり、その中に
「祐香ちゃんの笑う顔を見てほっとし、
孫ほど可愛いものはないと思った」
という言葉もあって、
両親だけではなく、たくさんの人にかわいがられて
ここまで育ってきたのだな~、と実感しました。
そして初節句のときの母の言葉。
「健やかに育って欲しい」パパとママは祈りました。
-中略-
だから、元気で明るい良い子になってね。
祐香、ガンバレ!!
今からでも、「元気で明るい良い子」になれるように頑張ります(^^)
『育児記録』という本を見つけたので、
東京に持って来ました。
子供の成長を写真と共に記録していくもので、
母の字で私の様子が書かれていました。
1~11ヶ月までは、
1ヶ月分ずつの記録、
初めてのお誕生日が過ぎてからは、
1年ごとの記録ができるようになっています。
最初の3ヶ月は、
私の様子が細かく書いてありましたが、
4~8ヶ月はところどころ、
9~11ヶ月は何も書いてありませんでした(笑)
でも、写真はきちんと貼ってあり、
成長の様子がよくわかります。
体重も最初の3ヶ月と、1歳のときしか記録されていませんが、
生まれたときの体重は3526gで、
当時の女の子の平均3100gよりも大きかったのに、
3ヶ月のときは身長は平均と同じくらいなのに対して、
体重は5450gと、平均の6400gよりかなり少なかったようです。
しかし、1歳の時は平均9100gに対し、
9000gと、だいぶ体重が増えたようで一安心。
そして、書かれている母の言葉を読むと、
どの時期のものでも、必ず「始終ニコニコしている」
「朝の目覚めがよく機嫌が良い」とあります。
今は朝起きてから数時間は具合が悪いのに(笑)
1歳のとき、初めて心臓の発作があったようで、
そのことも記録されていました。
『5月3日、連休のはじめの朝、初めての発作が起こる。
びっくりして病院に行く。
心電図を薬を飲まずに(眠り薬)とることができた。
発作はパパ・ママもさることながら、祐香自身も
びっくりしたことだろうと思う。
薬も増やされる。
祐香、頑張ろうね。』
もちろん、私はこのときのことを覚えていませんが、
初めての発作という大変なことがあり、
それをこのような文章で記録する中で、
悪いことだけではなく、
薬を飲まずに心電図をとることができた、
という良かったことを忘れずに書いている母は、
さすがのポジティブ思考だな、と思います。
私の究極のポジティブ思考は、母似だと思うんですよね。
途中から大雑把な記録になっていたとはいえ(笑)、
大切に育てられたことがよくわかる本で、
両親の温かさを改めて感じました。
両方の祖父からの寄せ書きもあり、その中に
「祐香ちゃんの笑う顔を見てほっとし、
孫ほど可愛いものはないと思った」
という言葉もあって、
両親だけではなく、たくさんの人にかわいがられて
ここまで育ってきたのだな~、と実感しました。
そして初節句のときの母の言葉。
「健やかに育って欲しい」パパとママは祈りました。
-中略-
だから、元気で明るい良い子になってね。
祐香、ガンバレ!!
今からでも、「元気で明るい良い子」になれるように頑張ります(^^)
風船
ごぶさたしております。
先日、札幌の実家に帰省したとき、
10歳年上のいとこと一緒に、
昔の写真を見ながらおしゃべりをしました。
私が小さい頃の写真は、
入院中のものが多くあり、
その中のある写真を見ていとこが言いました。
「そうそう、心臓の手術をするのに、
肺活量がなきゃ体がもたないからって、
ゆうかは毎日風船を膨らませて、
肺活量を鍛えていたんだよね~!!
ほら、ゆうか以外の子のベッドにも、
風船がぶら下がっているでしょ?」
写真をよく見てみると、
どの子のベッドにも、
色とりどりの膨らます前の風船がぶら下がっていました。
「毎日風船を膨らませていたから、
そのうち私たちよりも、
ゆうかの方が風船を膨らませるのが早くなってたよ!!
すごい肺活量になってた。」
そう、いとこは言っていました。
私の記憶には、
風船のことはありませんでしたが、
手術をするのにも、
いろいろな準備が必要だったんだな、
と改めて感じる出来事でした。
生きるためのたくさんの小さな努力、
たくさんの検査、
それを乗り越えてやっと手術をして、
今ここにいるのだな~、と。
でも、今忘れてしまっているくらいなので、
努力というよりも、
当たり前の日常だったのでしょうね。
先日、札幌の実家に帰省したとき、
10歳年上のいとこと一緒に、
昔の写真を見ながらおしゃべりをしました。
私が小さい頃の写真は、
入院中のものが多くあり、
その中のある写真を見ていとこが言いました。
「そうそう、心臓の手術をするのに、
肺活量がなきゃ体がもたないからって、
ゆうかは毎日風船を膨らませて、
肺活量を鍛えていたんだよね~!!
ほら、ゆうか以外の子のベッドにも、
風船がぶら下がっているでしょ?」
写真をよく見てみると、
どの子のベッドにも、
色とりどりの膨らます前の風船がぶら下がっていました。
「毎日風船を膨らませていたから、
そのうち私たちよりも、
ゆうかの方が風船を膨らませるのが早くなってたよ!!
すごい肺活量になってた。」
そう、いとこは言っていました。
私の記憶には、
風船のことはありませんでしたが、
手術をするのにも、
いろいろな準備が必要だったんだな、
と改めて感じる出来事でした。
生きるためのたくさんの小さな努力、
たくさんの検査、
それを乗り越えてやっと手術をして、
今ここにいるのだな~、と。
でも、今忘れてしまっているくらいなので、
努力というよりも、
当たり前の日常だったのでしょうね。
