エネルギーの物理量単位 それに形相を与える

 基本形は円だが 立体にあって球である ただトポロジー 自由変形 

 形相に目的因があった

 そしてトポロジー最適化 その一つに人型があった

 

  宇宙間エネルギーの目的因と形相因

 その動因の微塵の一かけら

 人型となっての地球の「ち」その有機物を質料として

  「いのち」となっの応身

 

 輪廻転生 数回の生まれ変わりを続けての今

 地球の事象の地平線にあって

 「いのち」にあって心(こころ)である

 学ぶべきは和と愛 理(ことわり)は修めるべきもの

 

 植物にあっては摂取であり 動物にあっては本能であり 人間にあっては理性であった(アリストテレス) 

 プシュケーについては様々な解釈があるが  息(いき、呼吸) 生きていること

 生の気 「い」の「け」と読めば 本居宣長の「け」 目に見えない力の存在   

 ソクラテスのあってはデーモンであり アテネの神殿の神託であった

 

 ただ理性 アリストテレスにあってロゴス  

 概念的把握 論理と訳されるが ロゴスは法 宮沢賢治のインドラの法の網

 それが東から西へ流れていくのだ

 法の網は自転と公転の上にかぶさっていた

 

  時間にあって物語 存在の出来事 事象である 知性がそれを捉える

 事象にも法があった 相依と相待 空の義 法が成る 縁起の法 (龍樹)

 縁起の法にあって依他起性(世親)

 そこに情が流れる

 

   格子場とゲージ理論 そこに複素数があった

 正直 言葉だけの理解 理数科の命辞を借りる

 言葉 言葉だけの論理 結局はウィトゲンシュタインの言語遊戯

  ハエツボから這い出たハエ  しかしタゴールの詩を朗誦する 

 

 生 十二因縁は無常と四苦にあったが お釈迦様の二面 悟りと衆生再度の道

 四苦 等覚にあって無の逆進であった 否定の論理には知恵が必要である 

  縁起の法にあっては愛は否定的だが

  慈悲と書き換えられて菩薩の行となる

 

 八正道は四諦‐苦集滅道の道である

 六波羅蜜は悟りへの道

 八正道は日常の生活にあったが 六波羅蜜は修行僧の道

 空の観想に無所得故 菩提薩埵 

 

 知にあって六波羅蜜

   禅定にあって自他脱落 法に照らされて「尽十方界無一人不是自己」

 唯我独尊の道得 ただ「色即是空・空即是色」をあえて「色是色なり、空是空なり」として智慧である

 空の儀 相依・相待にあって法が成った

 

  しかし八正道ですら衆生には困難である

  無知を知る それが親鸞の道であった

 法然の『選択本願念仏集』 しかし親鸞 選択ではない

  愚禿にして念仏がある ただ縋る 僅かな清浄心が浄土への道となる

 

  煩悩の徒 ただ念仏にあって仏の慈悲と救済を願う

  只管念仏 煩悩に晒されながらただ縋る

  法蔵菩薩の四十八願  華厳にあって菩薩の十地と十住心

  阿弥陀仏の浄土があった 悲願の合掌 

 

 「ち」に具象の原理 具象に相対性があった 相対性にあって世界である

 量子そのものも二極の二重螺旋 二重螺旋にあって時間に直線を描く

 一重螺旋はウイルスに蔓延した

 無人破壊兵器が交差する 一があって二がない

 

 量子コンピューターが離散量の概念を変える

 しかも量子のもつれ 双曲線の手を取りあっての舞があった

 いざないがあっての国生み

 そして八紘一宇の平治である

 

 ただ生成と維持、崩壊の原理にあって輪廻転生

 永劫回帰に神々の死 そして超人を語る  

   他方唯物弁証法に指導者原理 レッセフェールの自由は死の淵に立たされる

 何が「いのち」を支えるのか

 

 地球40数億年の歴史

 原核細胞が発生してから幾度か「いのち」の大きな転相があった

 しかし二極対称 改めて量子のもつれと双曲線

 その和のゼロ 円形にあって球体

 

 凝縮と拡散 時間による歪み

 しかし銀河群 基本形は球である

 ただ暗黒星雲が天空の鳥瞰図を多彩にする

  ただ巨大ボイドとグレートオール グレートオールにあって円環の帯

 

 ゾロアスター教 そこには善悪があった

 今の二項対立 一者の権力欲望と他者の否定 その征服と 従属への強制

 しかし 球体 慣性質量と重力質量の等価であった

 素粒子どうし その外縁の慣性質量のお手て繋ぎ 複合して新しい物質となる

 

 お手て繋いでの相依相待の円舞曲

 ピタゴラスが聴いた天空の音楽

 あなたの心の上層も それを聴いているはずだ

 愚かな人間 ただ私はあなたに期待する  マンデルブローにあって和の賑わい