「愛」って言葉、よく聞くけど……
小さい頃からずーと「愛」が欲しかった
親から「愛」されたかった
嫌われるのが怖かった
捨てられるのが怖かった
【愛】って
「愛」っていったいなんだろう
【愛とは】
ググりました↓↓↓
愛という言葉を語るとき、そこにはさまざまな意味が含まれます。パートナーに対する恋慕の情、家族や友人を大切に思う気持ち、子どもを愛しく思う気持ち、さらにはペットを大事にする気持ちも、すべて愛と呼ぶことができます。相手や対象をいつくしみ大切にしたいという思いがあれば、それはすべて愛なのです。
また、愛という言葉がさまざまなものを包括しているように、愛のあり方もさまざまです。「どちらかが一方的に与え続ける愛」もあれば、「自分が与えて相手もくれる」「相手がくれて自分も与える」という愛の形もあります。愛というと「お互いに与え合うもの」のみを理想としがちですが、その形は必ずしも一つではありません。
相手を支えたい
「相手を支えたい」と思う気持ちは、顕著な愛の現れ方の一つです。相手がケガや病気で苦しんだり思いがけないトラブルに見舞われたりしたとき、「側にいたい」と思えますか?何があっても相手を支えるという強い意志があるのなら、そこには愛があります。
自分も苦境に陥るかもしれないと分かっていても「支えたい」と感じたり、「相手が悲しんだり苦しんだりする姿を見たくない」「何を置いても相手を助けたい」と思う気持ちは、愛がなければ湧いてきません。どんな状況でも相手の幸せを考え、優先するのが愛だとすれば、つまり愛とは、「自己犠牲」であると言い換えられるかもしれません。
見返りを求めない
「メリットがあるから愛そう」「愛してあげれば良いことがある」などと考えるならば、それは愛とは呼べないのではないでしょうか。愛する対象を前にしたとき、愛しい気持ちや大切に思う気持ちは自然と湧き上がってくるものです。「喜ぶ顔や楽しそうな顔が見たい」と思うのは当然で、そのために自分は何ができるだろうかと考えます。
基本的に、愛は「与えて満足するもの」といえそうです。相手を大切にできればそれでよく、理由やそれによる見返りは必要ありません。例えば親が子どもに愛情を注ぐのに理由があるでしょうか。笑顔が見られればそれだけでうれしいと感じますし、親は「子どもを愛せること、何かしてやれること」そのものに幸せを感じるものです。
★私の尊敬するマザーテレサ
ググりました↓↓↓
元々カトリックの修道女(シスター)だったマザー・テレサは、36歳のときに貧しい人々の中に入ることを決意。修道会を出て、貧民街に学校や孤児施設を作った。また、『死を待つ人々の家』を開設し、路上で死にそうになっている人を連れてきては、テレサがその手を握り締めて最期を看取ったことは、あまりにも有名だ。
そうした彼女の奉仕活動が認められ、1979年にノーベル平和賞を受賞することになるが、マザー・テレサは言ったのだ。
『わたしは受賞に値しないが、世界のもっとも貧しい人々に代わって賞を受けました。』
そして、賞金について、
『このお金でいくつのパンが買えますか』
と聞いたという。そして、インタビューで、
世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか?
と尋ねられたときに、マザー・テレサが言った言葉がこれだ。
『家に帰って家族を大切にしてあげてください。』
世界平和も、家庭からなんじゃないでしようか
家庭が機能してなかったら
何処から「愛」をもらえるのでしょうか
「愛」を知るのでしょうか
「愛」の意味を理解出来るのでしょうか
家庭が「平和」じゃなかったら、何処で「平和」を感じる事が出来るのでしょうか
「平和」の意味を理解出来るのでしょうか
生まれてから、親からお世話をしてもらわないと生きていけない赤ちゃん
その親が、世話をしてくれなかったら……
「愛」してくれなかったら
親から罵詈雑言、虐待されて育ったら
どんな大人になるのでしょうか
生きる意欲がなくなる
家で、甘えさせて貰えない、甘える事が出来ない
どうすればいいのか
自分は存在してていいのか
生きてる証拠が欲しくなる
生きてていいのか確かめたくなる
愛を知らないと、愛を知る為に、いろんな事を試してみる
虐待されても
抵抗をやめたり
迎合したり
外で暴れたり
試し行動をしてみるしかなくなる
親が親らしい事をしてくれないから……
子供はそれしか分からない
それしか知らないから、これが愛なのか?これって私のうちの愛の形なのか?
友達の家と全然違うけど……
特別なんだよね
我が家だけ、きっと
もしかして、これが「愛」なのかもしれない
これが「愛」と思いたい
人って「愛」がなければ人は生きていけないから
子供は特にそう
愛の形はそれぞれだけど
ねじ曲がった形が「愛」と信じるしかない状況だった人も大勢いますね
(私もその一人ですが…)
ねじ曲がった愛は愛ではないと感じていたけど、愛と信じていた
信じたかった
愛されていたんだと思い込んでないと、生きていけなかったから……
「愛」とは何かを理解出来たのは
自分が子供を産んでから
こんなに小さくて可愛くて、守らなきゃならない!
守ってあげたい!
守るのは当然!!!
力いっぱい泣いて、お腹空いたら母乳を沢山飲んで、飲んだら寝る
その繰返し
我が家の子供4人は夜泣きが酷かったけど
私がいなきゃ!
私が守らなきゃ!
私を求めてる!
可愛い我が子
命にかえても、私は我が子を守る!
どんな状況になっても、私は我が子を守る!
自分の子育てと、私が育った環境があまりにも違い過ぎたので、【愛の意味】を知りました
(自分か子供を生んでから)
例えばですが
周りが敵ばかりでも、可愛い我が子の為なら、盾にもなるし、犠牲も厭わない
【愛】とは
そういう事なのかもしれない
と、私は思います
(
私の個人の意見です)
どんな自分をも受け入れ、自分の人生を歩んでいく
セルフコンパッションで
「セルフ・コンパッション」(self-compassion)とは、自分に向ける「思いやり」「優しさ」「慈しみ」のことであり、自身の「強み」(長所)・「弱み」(短所)を認め、どんな状況下でも「あるがままの自分」を肯定的に受け入れられる心理状態のことである。また、それを実現する技法を意味する。
- 自分への優しさ:悲しみや個人的な欠点に直面したときに、それらを無視したり、自己批判で自分を傷つけたりするのではなく、自分に向かって温かく接することである。
- 共通の人間性:苦しみや個人的な失敗を遠ざけるのではなく、人間の共通の経験の一部であることを認識することも含まれる。



