名古屋市西区にあります、明道町に行きました。
てっきり明道町という地名だと思っていたら、昭和56年に町名変更で明道町という地名は消えたんだそうです。
現在は西区新道、幅下という地名になっているそうです。
ただ、現在もバス停や交差点の名前などでは「明道町」という名前が残っており、この辺りの通称として明道町と今でも言われています。
舟橋商店というお菓子の問屋さんがありました
嫁入菓子や子供会で配るお菓子などを取り扱っています。
この明道町周辺は、全国最大規模のお菓子問屋街なんです。
詳しく書いてある看板がありました。
新道菓子問屋街と中京菓子玩具卸市場
西区の新道菓子問屋街は「駄菓子と食玩の街」として全国的に有名です。この地域の菓子製造業の歴史は名古屋城築城にさかのぼり、美濃路沿いに城の造営に関わった人に菓子を作って売る店ができたといわれています。「樽屋町の大木戸」と接して南に伸びる新道筋は元禄七年(1964年)に造られ、海福寺など六ヶ寺が門前町を形成し、六ヶ寺への供物や寺客相手に菓子が使われ、地域発展の背景となりました。
新道の菓子産業が発展したのは大正十二年(1923年)の関東大震災の時で、壊滅的打撃を受けた首都圏の菓子の供給を担い、戦前は朝鮮や中国まで商圏を伸ばしました。戦後名古屋は焼け野原になりましたが、新道界隈の復興は早く、瀬戸電等を使って新道に駄菓子の仕入れに来た『カンカン部隊』でよく賑わいました。その後、流通の変化の中で問屋化が進みました。その象徴ともいえる「中京菓子玩具卸市場」は昭和23年に約100軒の菓子卸業者によって開設され昭和40年代まで隆盛でしたが、平成15年に惜しまれながら市場を閉鎖しました。
ざっくり言うと、名古屋城を建てていた人達にお菓子を作って売る店ができたことが始まりで、この地域でお菓子産業が盛んになりましたよ。それがお菓子の問屋街に発展していきましたよ。ということが書かれています
お菓子問屋だらけなので、お菓子が段ボールで積んでありました。
こちらは玩具問屋の杉山商店と書いてあります。
昔はもっとお菓子問屋や玩具問屋で栄えていたんですよ。
自分が子供の頃はもっとすごかったイメージです
季節柄、クリスマス系のお菓子や飾りなども多かったです
大きな介護施設がありました。
こちらは菓子問屋たつやさんです。
店先にはお菓子や玩具が沢山売ってました
懐かしいです。
こちらにもお菓子問屋がありました。
さっきから出てくる「嫁入菓子」とは、結婚するときに花嫁さんが実家の2階からお菓子を撒くという風習が名古屋にはあり、それを嫁入菓子と言うんです
こちらのお店も店先にお菓子が沢山ありました。
クリスマスブーツなども多かったです。
子供の頃、たまに両親や兄弟と訪れていましたが、久しぶりに来たので懐かしい気持ちになりました