今日も全力で
「まいにち綾野剛っ!」
「綾野剛の病」をたのしむ
やちゅはぴです
今日も
遊びに来てくださって
ありがとうございます
会津若松への旅のために
『八重の桜』を
何度も、何度も、何度も、
反芻していたので、
自称
[綾野剛(病対応のため敬称なし)]の病
でありながら
1ヵ月以上ぶりの
新たな[綾野剛]作品となりました
『八重の桜」
最新[綾野剛]作品記事
さて。
映画『楽園』の原作は
実際にあった事件を元に創作された
吉田修一著『犯罪小説集』で、
映画は
同小説のなかの
『青田Y字路』と『万屋善次郎』という
2作が組み合わされた作品です。
…が。
今回もわたしは
前情報一切ナシでの視聴を
スタートしました。
【Ⅰ 罪】
祭り囃子が聞こえる。
出店が立ち並ぶ鎮守の森。
賑わう境内から
さらに奥まった場所に停めた
白い大型バンの脇で、
中年の女が
その“すじ”らしき男に罵られ、
殴られている。
豪士(たけし/綾野剛)は
がくがくと震えながら
止めることも助けることもできず
狼狽えながら
その様子を見ていたが、
ようやく
賑やかな出店の方へ向かって
助けを求めて
よたよたと走った。
「た…たすけて、ください…」
たどたどしい言葉。
村の長老の五郎は
豪士の助けを受けて、
「まぁまあ」と男を制して
事態を収束させる。
酷く田舎の過疎地域。
母・洋子は7歳の息子・豪士に
「楽園がある」と言って海を渡ったが、
異国の日本では
母子ともに強い人種差別に晒され、
息子は言葉もままならないまま
コミュニケーションカの欠如が見られる
大人になった。
母と息子は
リサイクル業と言えば聞こえはいいが、
いつも一緒にいて
ゴミを売る産廃業で生計を立てている。
見かねた五郎は
豪士に仕事を紹介するから
家に来いと言葉を掛けた。
どこまでも続く田んぼ道。
赤いランドセルがふたつ、
畦にしゃがみこんで
シロツメクサで花冠を編んでいた。
愛華は
紡(つむぎ)の摘んだシロツメクサを
一本抜き取って自分の冠に足す。
むっとする紡と、
「一本くらいいいじゃない」と
平然と前を歩く愛華。
遠くに見える集落に向かって
駆け出す少女たち。
しかし、
夕刻になっても愛華は
自宅である
五郎の息子の家には戻らなかった。
愛華は
いつもどおりに紡と別れた
Y字路から忽然と消えた。
村の男衆が警官の指示のもと
総出で一帯を捜索するが、
浅い川に残された
赤いランドセル以外には
何の痕跡も見つからなかった。
あれから12年。
今年もまた
祭りの季節が来た。
紡(杉咲花)は祭り囃子の笛を吹いているが、
その表情はどこか陰鬱として、
幼なじみの広呂(村上虹郎)の
ちょっかいを避けるようにして、
パンクさせられた自転車で
帰路に立つ。
道中、
街灯のない田んぼ道で、
うしろから来た豪士の車に焦って
転んだ紡の笛が壊れた。
おろおろする豪士に、
紡は
松本で買えるから大丈夫だと言い、
パンクした自転車では
町には行けないからと、
翌朝、
豪士はY字路で紡を乗せ、
笛を弁償した。
村から町への往復の車中、
事件の日に
川で赤いランドセルを見つけた
豪士と
愛華の最後の姿を見た紡は
いくつかの言葉を交わし、
ささやかな共鳴を感じたように、
紡は豪士に
「今夜の祭りを見に来てはしい」と
約束を取り付ける。
ところが、
紡が
祭り囃子の準備をしている時刻に、
村のY字路では
またしても小学生の女の子の行方が
分からなくなっていた。
12年前の事件を紡彿とする事態に
村人たちは不安を露わにし、
つい数日前まで入院していた
紡の父親が病室で聞いた、
豪士の母親の男の
「お前の息子は人殺しだ」という言葉から
豪士が怪しいと声を上げ、
村の男たちは大挙して
豪士の自宅へと押し寄せた。
そんな事態など知らない豪士は、
自宅の窓ガラスをぶち破り
家の扉を蹴破って侵入する
男たちの様子を見て、
自分の幼少期に、
地元の中学生男子たちが
家の窓を割って笑っていた姿を
重ねて恐怖し、
村の夜道を駆け出した。
豪士の後ろ姿を認めた村人たちは
全員で声を上げて追ってくる。
豪士は、
営業しているそば屋に立てこもり、
混乱して店内を破壊。
取り押さえようとされて、
豪士は灯油をかぶり
自らライターで火を点けた。
店舗から出てくる
火だるまになった豪士に、
駆け寄ろうとする母を制止したのは、
山間部に住む善次郎(佐藤浩市)だった。
豪士は死亡。
しかし、
行方不明と思われた少女は
別の男と一緒にいるところを保護され、
男は犯人として逮捕される。
村人たちは、
豪士の死などなかったかのように
犯人逮捕の知らせに安堵した。
【Ⅱ 罰】
善次郎は高卒で都会に出て
見合いで妻と出会い、結婚。
しかし
白血病で30代の妻を亡くし、
父親の介護のために
生まれ育った村に戻り、
定年後の今は
養蜂で生計を立てている。
また、
妻が人のいない山を
気に入った様子だったことを
思い出しては、
愛犬と並んで
田舎の景色を愛でている。
家族は
シェバードに似た大型犬のレオだけだが、
集落の年寄りたちからすれば
定年したばかりの善次郎は
充分に「若者」で、
風呂の配管や
電気系統の修理、
果ては屋根の雨樋(あまどい)の掃除など、
頼まれれば何でも対応し、
「よろずや」と呼ばれて
それなりに可愛がられ、
長老宅で行われる会合でも
歓待を受けて
穏やかな毎日を過ごしていた。
善次郎が酒の席で、
田舎の過疎を止めるため
養蜂による村おこしを提案すると、
長老たちは口々に
それを肯定して笑った。
再び訪れた、夏祭り。
善次郎と同じく夫を亡くし、
中学生の息子を連れて村に戻った
寄り合いの世話役の娘・久子は、
善次郎が、
男手がないための困りごとに
快く対応する姿に
好意を持っている様子で、
ふたり並んで
大天狗の舞の炎を見つめる。
同じ松明を前に、
隣に少し呆けた妻を伴う
13年前に孫の愛華を失った五郎と、
そして
祭り囃子の笛を奏でる紡の脳裏には、
あの日
炎に包まれた男の姿があった。
人目を避けた場所で、
紡を前にした五郎の
「なんでお前だけ生きているんだ」
という言葉が響く。
紡は
Y字路に立つと
自分だけが幸せになっていいのかと
いつも考えていたと答えた。
紡は
祭り囃子の笛を吹くために
帰郷していたものの、
豪士の死後は
逃げるように東京に出ていたが、
紡を慕う広呂が
彼女を追うように上京し、
変わらぬ懐っこさで誘われて
少しずつ心を開いていく。
そんな折り、
善次郎が役場に申請した
村おこしの助成金の認可が下りたことで、
村人たちの怒りが爆発する。
助成金の申請は
長老がすべきことであり、
勝手な行動をした善次郎は
寄り合いで無視をされ、
果ては
身に覚えのない罪を
いくつも着せられるようになり、
村の若者たちから脅され、
警察に事情聴取をされ、
誰も
言葉を交わしてくれなくなった。
善次郎は
山の斜面の雑草を刈り取って
山に芽生えた苗木を
山肌に移植するようになった。
善次郎の妻が好んだ山の景色に、
門扉の代わりに
裸のトルソーが立っている。
村人がゴミを置いたのだ。
この異様な光景を見ても、
善次郎を慕っていた久子は
彼に寄り添おうとする。
しかし運悪く、
村人夫妻に
久子の車の助手席にいた
善次郎の足元に落ちた
携帯電話を拾おうと
久子が上半身を屈めた様子を見られ、
善次郎の心痛を案じた久子が誘った温泉で
孤独に耐えきれなくなったように、
裸体の久子を抱きすくめてしまう善次郎。
しかし
善次郎は正気を取り戻し、
湯舟に深く土下座をした。
湯舟を飛び出して
泣き崩れる久子。
その後、妻の墓石に
朱書きで「色狂い」と
落書きをされる。
黙々と。
ただ黙々と朱を落とす善次郎。
季節は巡る。
純白の雪が村を覆い、
菜の花が大地を埋め尽くした。
善次郎の家の庭には
善次郎の妻が遺した衣類が着せられた
いくつものトルソーが立っている。
その庭の前で、
妻の手紙を
ぼんやりと読み上げる善次郎。
そして、
善次郎は植栽した苗木の根元に
妻の遺骨のかけらを
納めるようになった。
しかし、
善次郎の聖地に土足で踏み入るように、
村の長老たちがやって来て
気味が悪いと暴言を吐き、
主に害するに態度に憤った
愛犬のレオが
その脚が血まみれになるほどに
噛みついた。
レオを押さえ込み、
地べたに這いつくばって
謝罪する善次郎だったが、
レオを
散歩に連れて行くことは愚か、
檻から出すことさえ
許されなくなった。
【Ⅲ 人】
紡は
東京の病院に入院する
広呂の見舞いに来ていた。
お調子者でお気楽に見えていた
彼だったが、
命の先行きが見えない病に
弱気を見せる。
紡は
広呂のそばにいることを決めた。
一方、
善次郎の家には
強制退去命令が出た。
追い打ちをかけるように
村人たちが大挙して押し寄せ、
気味が悪い、
勝手に山を触ってはならないと
口々に声を荒げ、
善次郎が植栽した山を
重機で掘り返した。
妻の遺骨ごと
めちゃくちゃにされていく山。
善次郎は、
ある苗木の根元に見えた
妻の遺骨を口に含むと、
狂ったように
無心でその根元の土を食べた。
…松明を持った善次郎が
家々に放火していく。
テレビでは、
近隣の住人6人が
鋭利な刃物で殺害され、
その後
放火されたと報道されている。
被害者の中には
久子の両親もいた。
テレビで
大々的に事件が報道される中、
紡は
豪士の母が務める
介護施設を訪れていた。
それまでは過去の事件に囚われ、
けれど
決して事件に深く触れようとしなかった
紡だったが、
豪士の母に真実を求めた。
事件当時、
豪士の母は息子と一緒にいたと
嘘の証言をしており、
豪士はそれにより釈放された。
警察署をあとにする豪士の顔には
静かな笑みが浮かんだ。
豪士は
母に問われて語る。
“どうして生まれて来たのか
どうして死んでいくのか
答えられるか?”
豪士の母は、
生きる力のなかった息子は
みんなが自分に死んでほしいと
望んでいると思ったのだと言った。
善次郎は
血に濡れた鎌で
自らの腹部を快るように
掻っ捌いた。
捜索中の警察官が
瀕死の善次郎を見つけ、
レオは主の危機を察知して
山に向かって声を上げ続けた。
事件を知った紡が、
Y字路に建てられた
愛華の事件の看板を抜いて
投げ捨てる。
看板を作った
愛華の祖父・五郎もまた、
本当に豪士が犯人だったのかと苦しみ、
遺体すら出ない
愛華の事件の真実を求めていた。
愛華が消えた、あの日。
豪土、善次郎、紡の運命は
動き出していた。
Y字路にほど近い小川のそばに、
青いクルマが停まって
運転していた男が子犬を捨てた。
同じ川に
廃棄物を捨てようとした豪士は
声にならない慟哭のあと、
涙とともに思いとどまる。
背後には、
犬を捨てた男のクルマ。
青いクルマは
ふたりの少女とすれ違った。
ちょうどY字路に差し掛かり、
シロツメクサの花冠を手にした
少女ふたりが言葉を交わしている。
愛華は
「家に来ないか」と誘うが、
紡は冷たく「行かない」と答え、
それぞれに自宅のある方へと別れた。
愛華が少し歩くと、
白いバンのハッチバックを開けたまま
腰掛けて泣いている豪士がいた。
愛華は花冠をかぶせて
「どうして泣いているの?」と問うが、
豪士からの答えはなく、
また家までの道を歩き始めた。
その後ろを、
よろよろとついていく豪士。
…Y字路に立った現在の紡が、
この景色を見ていた。
過去に。
その当時に。
紡は、この景色を見ていた。
軽トラックで
Y字路に通りかかった善次郎は、
そこに捨てられていた
ジャーマンシェパードの仔犬を拾って
レオと名付けた。
パン屋の娘で
犬を飼えなかった妻を偲び、
また、
妻が生きているうちに
犬の飼える家に引っ越さなかったことを
悔いていた。
善次郎のクルマもまた、
Y字路を愛華の自宅方向へと
走り去る。
不意に紡の携帯が鳴り、
「退院が決まった」と
広呂の元気な声が響く。
5年生存率50%という病を前に
頑張ると言い、
「俺たちのために楽園を作れ」
と笑った。
東京に出て、
初めて広呂と飲んだ夜の
街角で、
通り過ぎる若い女性たちの中から
声ががった景色が蘇る。
「あいか」
紡が振り返ると、
同年代の髪の長い女性と
目が合った。
そして、
「あいか」と呼ばれた女性は
紡に柔らかく微笑んだ。
隣にいた広呂は紡に
「俺たちのために楽園を作れ」
と言う。
紡の脳裏には、
愛華とともに歩んだ
あの、どこまでも続く
田園の風景が広がっていた。
…最初にも書いたように、
原作も、映画の内容も、
一切知らずに視聴を開始。
しかし、
衝撃的な事件は
記憶に残っているようで、
全く知識がなかったにも関わらず
すぐに
「あの事件がモチーフなのか!」と
ふたつの事件が浮かんだ。
そして思うことが
いくつかあった…。
愛華が
紡のシロツメクサを一輪
当然のように奪うシーンで、
彼女は
自分の生い立ちによって
その傲慢さを許されていると
勘違いしている状況に
意識が向いた。
実際
祖父の五郎は村の有力者で
紡はおそらく
以前からずっと
愛華の傍若無人な態度を
受け容れざるを得なかったのだろう。
「どうして
わたしだけ生き残ったのか」
そんな殊勝な想いとは裏腹に、
「悲劇に見舞われて当然だ」と
愛華を卑下する気持ちがあり、
そんな自分を
許しがたかったのではないかと
感じたのだ。
また、
国籍から
明かに余所者である豪士は
この物語に表現される
彼の人生の最初から最期まで
ずっと
自分の平穏な居場所のなさに
苦しんでいる。
狭く、小さい、
ある一定の空間…
ここでは彼の自宅と
白いバンの中だけが
豪士のささやかな安寧の時間だった。
そこに
紡を招き入れた豪士は、
彼女に伝えたいことがあったのではと
想像する。
事実、
中学生のころに紡が買った財布には
豪士からの
「つむぎさんが悪いのじゃない」
というメモが入っていた。
しかし、
豪士が犯人だとするのは
早計だとも思うのだ。
犬を捨てたのは、
誰なのか。
青いクルマは
誰のものなのか。
そしてわたしは
ひとつの仮説を立てる。
青いクルマに乗った人間が
山の中に犬を捨てに来た。
そして豪士は、
愛華が青いクルマに乗せられるのを
「ただ見ていた」のではないか…。
映画の冒頭で
母親が暴力を振るわれていても
動くことが出来なかった様子から、
そんなことを想像した。
豪士は
捜索隊に加わりながら
幾度も
「あいかちゃん、あいかちゃん」と
呟き、
焼身自殺を図る際には
絞り出すように
愛華の名前を呼んでいた。
自分に優しくしてくれた
(泣いている理由を問い、
花冠をかぶせてくれた)
愛華との
「誰にも言わないで」
という約束を守るために、
自分の命を絶ったとしたら。
豪士にとって
社会は誰も信用できない。
もしも
わたしの想像通りであるならば、
豪士が愛華を救えなかった背景にある
村の、日本の、
差別意識に対する恐怖は
あまりにも大きい。
そして、
ラストシーンの
「あいか」と呼ばれた少女からは、
連れ去られた愛華が
どこかで平然と生きていることを
象徴していると捉えてみる。
小学生だった愛華は、
村の長の家に生まれた自分の存在が
親しい友人関係に至れず、
疎ましがられている事実に
気付いていたのではないか。
もちろん、
誘拐は重罪だし
実際に本人が
「逃げたい」と思わない可能性は
極めて低い。
しかし、
彼女が行方不明になった頃には
生まれたばかりの弟が存在しているので、
愛華本人は
弟に全てを奪われる恐怖も
感じていただろう。
村の老人たちは、
明らかに男尊女卑が強いのだから。
そもそも愛華は
家に帰るのがイヤで
紡を誘っている。
犬を飼えなくなった男が、
愛華を連れ去った。
その背中を
「あいかちゃん…」と呼びながら
追った豪士。
もしかしたら、
愛華は豪士に口止めすら
したのかもしれない。
豪士に
知的なハンディがあったと仮定すると、
約束を違えない姿勢にすら
納得してしまう。
…これほどまでに
深く考察させられるのが
[綾野剛]!!
…すきです…。
急に
何の告白だ…
さらに
善次郎の事件に至るまでの経緯から、
閉鎖的な むら社会における
関係性のいびつさがもたらす
異常性にも意識を向ける。
ここに生きるためには、
長の言葉に
“おかしい”と
疑問を感じてはならない。
村の規律が絶対であり、
それを守れない者には
どんな制裁を加えても良い。
…これらの事案は
これまで実際にむら社会の中で
起こり得たことなのだろう。
けれど、
それにより
事件が起こらなかったワケではない。
なぜならば、
寓話や昔話として、
日本中には
伝説的に語り継がれる物語が
いくつも伝承されているからだ。
しかし、
人は自分にそれが訪れるとは
考えない。
結果、
善次郎による悲劇は起きてしまう。
ちなみに、
モデルとなった事件において
犯人の被害妄想の部分も多かったと
されているようだが、
社会から孤立した場所で
このような扱いを受けたとしたら、
妄想ではなく、
精神的に追い詰められることは
在りえないことではないと感じる。
人の心を慮る想像力があれば
避けられたかもしれない事件。
それが
『青田Y字路』と『万屋善次郎』
ではないかと思うのだ。
タイトルとなっている
『楽園』…
豪士にとって、
母の言う『楽園』は
どこにもなかった。
(劇中の言葉より)
善次郎は、
妻との思い出を抱きながら
穏やかに朽ちていく
『楽園』に辿り着くことなく
他人の手により穢され、
最後は自らの手で破壊した。
そして紡は、
全てを受入れて
生きていくことを決意する。
愛華の犯人が誰か、など
どうでもよいことなのだ。
命が
いつ絶えるとも知れないことは、
広呂の病からも、
豪士の自死からも、
善次郎の殺害と自死からも、
じゅうぶん理解している。
それどころか、
生きているか、
死んでいるかさえ、
知られることのない生命があることを
愛華が教えてくれた。
だから紡は
ただ生きるのだ。
脳裏には
ひたすらに続く田園風景。
久子は言った。
どこに行っても一緒。
ただ、
生まれ育った町だけが特別。
その景色を胸に、
『楽園』を胸に、
生きた者だけがたどり着けるのが
『楽園』
今日も、
読んでくださって
ありがとうございました