野木駅ロータリーに面した店舗は
間口2.7m奥行5.4m 知人2人との3人での起業だった
あてになる収入は妻のパートタイムでのものだけ
大学受験を目前の子供たちもおそらく不安だったにちがいない
前職時の顧客が町内に3百軒ほどもあったことから
リフォームに特化した営業活動を必死に行い
業績はうなぎ上り翌年には隣接の小山市に2号店を開設した
留守番電話もファクスも備えられない事務所だったが
リフォームという新しいビジネスへの取組が功をそうしたようだ
栃木県下都賀郡野木町大字丸林字大塚
なんとも過疎の雰囲気の漂うこの地名が新住所となった
数年ぶりの旧友の勤務先は地元の旧い建設会社で
不動産事業を始めるところだった
従業員20名そこそこの小さな会社だったが
社長の素朴な人柄にも魅かれて就職
販売中の建売住宅を自ら購入し入居すつという慌ただしい年末だった
私の初めての持家取得である
私は35才 長女は小学校5年3度目の転校をさせることになった
旧友がしばらくして脳梗塞で倒れたことで
宅地建物取主任者の資格をとり不動産部の責任者になった
業績は順調で会社はこの町の有力企業に成長した
購入した住宅を増築したが2年後には新しい住宅に買い替えた
バブル景気のはしりでもあって、
購入時の価格を超える価格で売却することができた
秋津駅前
N通商を手形詐欺の被害によって廃業
居住していた会社の1室に留まることもできず
東京都東村山市、西武池袋線「秋津」近くの借家に転居した
これを機会に長女と伯母も同居することにした
廃業が家族を喜ばすという皮肉な結果をもたらした
私はK資料研究者に営業職として就職し
妻は椎名町の耳鼻咽喉科の受付事務に就職
家族4人の生活となった
駅から10分ほどの道沿いに洋菓子店が2軒あって
帰宅時には買って帰ることも多かった
長女は小学校3年 北海道/横浜/東京と3つの転校をさせることになった