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来し方はパラパラ漫画

1943年ヨコハマ生 振り返れば満足の人生
遊びも仕事も夢も野望も七転八起
つれずれにヒトコマを想起してみti

 住宅リフォーム

 

野木駅ロータリーに面した店舗は

間口2.7m奥行5.4m 知人2人との3人での起業だった

あてになる収入は妻のパートタイムでのものだけ

大学受験を目前の子供たちもおそらく不安だったにちがいない

 

前職時の顧客が町内に3百軒ほどもあったことから

リフォームに特化した営業活動を必死に行い

業績はうなぎ上り翌年には隣接の小山市に2号店を開設した

 

留守番電話もファクスも備えられない事務所だったが

リフォームという新しいビジネスへの取組が功をそうしたようだ

 

栃木県南部の人口2万人強の小さな町だったが

京成d不動産の大規模開発のニュータウン建設の影響もあって

業績は好調で販売計画中の未完成の物件まで申込予約されるほどだった

 

不動産部を節税のために別会社に組織変更することになり

私は専務取締役として駅前店舗を運営する

本社の建設する建売住宅の販売を主としたが

一般市場の仲介物件も多かった

 

本社勤務期間を含め7年間の

勤務だったが本社社長の急逝に伴い

私の在籍の別会社を私が譲り受ける事になった

 

北海道の小学校に入学していた次女が中学生になる機会に

同居していた

 

私は42才 2度目の起業となったのだった

この起業が20年のスラートになった

 

栃木県下都賀郡野木町大字丸林字大塚

なんとも過疎の雰囲気の漂うこの地名が新住所となった

 

数年ぶりの旧友の勤務先は地元の旧い建設会社で

不動産事業を始めるところだった

従業員20名そこそこの小さな会社だったが

社長の素朴な人柄にも魅かれて就職

販売中の建売住宅を自ら購入し入居すつという慌ただしい年末だった

私の初めての持家取得である

私は35才 長女は小学校5年3度目の転校をさせることになった

 

旧友がしばらくして脳梗塞で倒れたことで

宅地建物取主任者の資格をとり不動産部の責任者になった

業績は順調で会社はこの町の有力企業に成長した

 

購入した住宅を増築したが2年後には新しい住宅に買い替えた

バブル景気のはしりでもあって、

購入時の価格を超える価格で売却することができた

 

横領や窃盗の疑いを忌避したものの無職になったことから

泰西名画のリトグラフを車に積んでの訪問販売を始めた

12号サイズ額縁に納めて3万円で販売する

半額が利益なので1日1ケをノルマにした

 

新築の家/建築会社/建売会社など

新しい家には絵画があっても良いだろう

単純なりゆうなのだがノルマは難しくはなかった

 

北海道の原野商法時代の同僚が

栃木の不動産会社で働いているのを知って訪ねた

東北線野木駅前の事務所で再会した彼から

営業を手伝ってくれないかとの申出があった

 

これがまた一生の主舵を大きく切ることになる

 秋津駅前

 

N通商を手形詐欺の被害によって廃業

居住していた会社の1室に留まることもできず

東京都東村山市、西武池袋線「秋津」近くの借家に転居した

これを機会に長女と伯母も同居することにした

廃業が家族を喜ばすという皮肉な結果をもたらした

私はK資料研究者に営業職として就職し

妻は椎名町の耳鼻咽喉科の受付事務に就職

家族4人の生活となった

駅から10分ほどの道沿いに洋菓子店が2軒あって

帰宅時には買って帰ることも多かった

長女は小学校3年 北海道/横浜/東京と3つの転校をさせることになった