目新しさに溢れたヨーロッパから、

1年半過ごしたことのある、アメリカへ移動した。

4年半振りだった。


人の記憶は何よりも「匂い」で蘇るのだと、強く実感した。

懐かしさに包まれ、今まで無意識に張っていた「気」を緩めていた。


2週間のロードトリップを計画していた。

サンフランシスコ空港に降り立ち、レンタカーをした。

車を約5時間走らせ、ヨセミテ国立公園へ。

壮大な自然に心が踊った。

数日後、4時間ほど車を走らせ、ジョシュアツリー国立公園へ。

毎日のように車を走らせていた。


その後、グランドキャニオン、アンテロープキャニオン、フォレストガンプポイント、ザイオン国立公園へ。


向かう予定だった。


カリフォルニア州にあるジョシュアツリー国立公園から、アリゾナ州にあるグランドキャニオンまで、一気に運転するのは距離的に難しい。

アリゾナ州に入り、中心地のフェニックスで1泊した。


振り返ると、1人で運転し続けるには、無理のある計画だった。

フェニックスからグランドキャニオンへ向かう道中、事故にあった。


信号は赤だった。

交差点の先頭で左折をしようと、信号が青に変わるのを待っていた。

アメリカと日本のハンドルは逆だ。

左折レーンにいる車は、真っ直ぐ走る対向車がいなくなるのを待ってから、左折をする。

そんなことは、もちろん分かっていた。

はずだった。

信号が青に変わった途端、無意識にアクセルを踏みながら、左にハンドルを切っていた。

曲がりかけたこちらの車に対向車が突っ込んでくる。


「まずい」と思った時には、

もう遅かった。

もの凄い衝撃を感じたが、幸い、突っ込まれたのが助手席側だったということと、信号が赤から青に変わったばかりだった為、あちらも走り出して間もなかった。

3040キロ程度しか出ていなかったらしく、相手は無傷。僕はほんの軽い打撲で済んだ。


「ほんの軽い打撲で済んだ」というのが率直な気持ちだった。

もし左側に突っ込まれていたら。

もし助手席に誰か乗せていたら。

考えれば考えるほど怖かった。


「突っ込まれた」という表現をしたが、状況的に100%僕が悪い。

混乱し、何も判断ができない状況下で、それだけは理解していた。


車を降りられずにいると、相手がこちらに来た。

「大丈夫か!?」

後に分かったことだが、地元に住む53歳のおじさんだった。

警察に連絡をしてくれた。

職場にも連絡をしていた。

仕事に向かう途中だったようだ。


申し訳なかった。丁寧に謝った。

「何言ってんだ、君が無事だったことが何よりだ。」


暫くすると、警察が来た。

流れ作業のように状況説明を促され、違反切符を渡された。

借りていた車は助手席側が大きくヘコミ、窓も割れ、ボロボロだったため、レッカーで運ばれていった。


徐々に冷静さを取り戻し、一刻も早くレンタカー会社の窓口へ行かなければと思っていた。

数時間後に窓口を訪れたところ、幸い、保険も完備していた為、レンタカー会社にも相手方のおじさんにもお金を払う必要がなかった。

おじさんの車の傷も、加入している保険会社に補償してもらえるとのことだった。


話は戻り、警察が口を開く。


「お前、これからどうするんだ、どこかへ送ってやろうか?」

「いや、俺が送っていく」

「そうか、分かった」


この事故によって不恰好になったものの、おじさんの車はまだ走れる。

今回の事故は100%僕が悪い。

ただ、もし僕の身に何かあったら、おじさんにとっても都合が悪い。

悪かったはずだ。幸いなことに僕は無事だ。

なのに、まだなぜ。

なぜ、警察に僕を送らせないのか。


「なんで送ってくれるの?」

「あんな態度の悪い警察の奴らに君を送らせたくなかった」

「ありがとう。でも大丈夫。タクシー呼ぶから。仕事行ってきて」

「仕事は大丈夫だ。こんな時に仕事なんてしなくていいんだ」

「なんでそこまでしてくれるの?」

「俺も昔メキシコでひとり旅をしてた時、今の君のように事故に遭ったんだ。俺が悪かったのに、そのメキシコ人は色々助けてくれた。だから、次は俺の番だ」


「最大の武器」とは、

お金でも、銃でも、権力でも、容姿でも、才能でもない。

「優しさ」だ。


怖い思いをした。

ただ、それ以上に価値のある、

「優しさ」に触れることができた。

彼のような優しい人に出会えることができた。


日本の伝統的な文化が大好きだと言っていた。

後日、日本のお皿を贈った。

とても喜んでくれた。


その後も旅を続けることができている。

おじさんがいなければ、難しかったかもしれない。


辿り着けなかったグランドキャニオンへは、いつか必ず、おじさんと行こう。




YS