ケバブ、伸びるアイス、気球。

旅の始まりはトルコにしました。

国民の99%がイスラム教徒ということもあり、町中には彼らが礼拝をする場所であるモスクが沢山ありました。

モスクの緻密で美しいデザインに目を奪われながらも、その傍ら人々の祈りを捧げる姿に心を動かされていました。


母親がキリスト教の信者で小さい頃によく教会に連れて行かれていたことや、たまたまキリスト教系の中高一貫校に通っていたこともあり、割と宗教には縁のある人生だったのかなと思います。

ただ僕自身は無信仰で特定の神様を信じていません。

どれくらい信じていないかというと、高校で宗教委員会の委員長になって目立ちたいと思い、なってしまうくらい信じていません。


ただ、どのタイミングかは覚えていませんが、いつからか「祈る」という行為が素敵なことだと思うようになりました。

墓参りをすること、仏壇に手を合わせて近況報告をすること、それらは亡くなった人と話をするひとつの手段だと思います。

お正月や三が日に神社で参拝をするのも、自分や自分の大切な人を想う尊い時間だと思います。

それらの感情が過去の宗教委員長になって目立ちたいという経験からきているものだとしたら何だか不思議だなと、彼らの姿を見てそんなことを思い出していました。


頭と手を地面につけ、食い入るように、息を詰めるように祈る。

辛いことがあったのかもしれない、何か悪いことをして懺悔しているのかもしれない、一世一代のチャンスを掴みたいのかもしれない、日々の穏やかな幸せをただただ願っているのかもしれない、大切な人の幸せを心から願っているのかもしれない。

煌びやかな雰囲気に包まれたモスクで縋るように、しがみつくように祈る彼らの姿を必死に目に焼き付けていました。

ひたすら自分の何かを、誰かの何かを祈る彼らの真っ直ぐな心とそれらに対して向き合う彼らのひたむきな姿勢はモスクに負けないくらい美しいものでした。


彼らの祈りがどうか届きますように。



YS