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ひとり娘の両親介護日記

アラフィフひとり娘。3年間の両親自宅介護生活とその後を綴ります。

 私には5つ年上の姉がいました。2人姉妹でした。小さい頃は5つの年の差が

とても大きく、私は姉に遊んでもらいたいけれど、姉としては小さすぎる妹には

あまり興味はなかったよう。泣き虫で甘えん坊な私は、いつも姉から泣かされて

いた記憶があります。

 私が小学校高学年から中学生の時、姉は高校生。この頃は姉から音楽やファッション

など、色々と影響を受けた時期でした。年上のお姉さんに色々教えてもらうことが

嬉しかったのですが、それでも喧嘩することは多く、狭い社宅の団地に住んでいた

私達は、姉が自分の部屋を持ち、私とはすぐ喧嘩するため部屋がもらえす、父が

就寝する部屋に机を置き、夜はその部屋で中学1年生まで父と一緒に寝ていました。

それがすごく嫌でしたが。母は皆が食事する居間に布団を敷いて寝ていました。

この事が私にとっては「わがままな姉」という印象で、姉と母もよく喧嘩をして

いた記憶があります。今にして思えば、姉は妹ばかり可愛がる(甘やかす)両親が

嫌だったのだと思います。母と姉はお互い気の強い性格だったのもあります。

 

 姉が短大に進学して家を出たことにより、私も念願の自分の部屋を持つことが

できました。姉も外へでたことで、喧嘩をすることもほぼなくなり、姉の住む

アパートへ遊びに行ったりと、この頃からようやく年の差が以前よりも縮まった

感じになりました。

 

 お互い20代となり、それぞれ付き合っていた人と結婚話が出始める頃。

私が結婚した1年後に姉も結婚。姉の結婚式の時は、私は妊娠3カ月でした。

そして姉は結婚式直前に妊娠が発覚。お互い予定日は1カ月ほどの違い。

ここから姉とは、姉妹というよりも一緒に初産を経験することになる同志

のような、何でも相談できる友人以上に近しい関係となりました。

2人で大きなお腹を抱えて、マタニティコンサートへ行ったり、両親と

一緒にドライブに出かけたり。私達4人家族の最も幸せな時期だったと

この時の写真を見ると、本当にそう確信できるくらいに皆良い笑顔でした。

 

 まず私が男の子を出産。その50日後に姉も男の子を出産。出産後に

実家に次々と赤ちゃんがやってきて、父も母も大忙しの賑やかな日々でした。

さらに姉はその3年後に次男を出産。男の子の孫が3人。私たちが孫を連れて

実家に帰ると、父も母も楽しそうでした。病気する暇もないくらい。

我が家の賑やかで幸せな日々。