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ひとり娘の両親介護日記

アラフィフひとり娘。3年間の両親自宅介護生活とその後を綴ります。

 昨夜の地震のせいで、かなりの寝不足状態。前日は面会しなかったので、

今日は午後休みをもらって母の所へ行こうと決めていた。父も一緒に連れて

行こうかと。それならば施設に外出の許可をもらわないと…なんて色々と

考えながら出勤の準備をする。

 

 そんな時、私の携帯に病院からの着信。時間は午前8時前。嫌な予感しか

しない…。主治医の先生からの電話だった。昨夜から容体が悪化しており、

意識レベルが下がってきているとのこと。いつでも連絡が取れる状態にして

おいてくださいと言われてしまった。先生は「すぐに来てください」とは

言わなかったけど、どうすれば??と混乱しながらもとりあえず職場へ出勤。

 

 万が一の時のため、仕事をそれなりに整理して、早めに帰ることに決めた。

父の施設にも連絡して外出許可をもらう。病院へ連絡すると、すぐにでも面会

して良いとのこと。すぐに面会されるのなら個室にしておきます、と言われ、

そこで緊迫している状況だと気づいた私…。父の居る施設へ迎えに行き、

午前11時に母の居る病室へ。

 

 母は酸素マスクをつけた状態で、朦朧としていた。目は開いていたけれど、

視線は合わなかった。父がその姿を見てかなりショックを受けた様子だった。

声をかけると時折ハッとした感じで目が合う。ただ見えているのか分からない。

それでも耳は絶対に聞こえていると信じて耳元で声をかける。手をさすると

嫌がるような素振りをしているのか、手を動かす。「触るな!」と言ってる

ようにも思える。それでも何度もさすってみる。時々声も上げるのだけれど、

「あ~」とか「う~」とかで言葉は聞き取れず。

 

 先生がやって来て、昨夜からの状況を説明してくれる。そして「できるだけ

一緒に居てあげてください」と。え?もうそんな状態まで来てるの?と。

私はハッキリ言ってもらわないと理解できないのだ。

 

 その後やって来た看護師さんから、「実は昨日の昼間はとても体調が落ち

着いていて、車椅子に乗って病院の屋上にある庭園まで行ったんです」と。

屋上からは向こう側に見える大きな公園を眺めて、「ここから桜が綺麗に

見えるんですよ。今年はもう終わってしまったけど」と話すと少し笑ったり

もしていたとのこと。容態が悪化したのはその日の夜。それを聞いた私は

昨日だけ面会に行かなかったことをこの先ずっと後悔するだろうと思った。

 

 母の携帯を開いてみる。昨夜の緊急地震速報のメールが受信されていた。

それを開くことなく、母の容態は悪化していたのだ。