今日、久しぶりに思うことがあったのでここに書かせてください。
正直自分には理解ができないし興味もない。
毎日生活していると当たり前のようにそういうことに遭遇します。
そんな話聞きたくもないし、聞いたところで決して理解はできない。
それでも形式上話を聞かなければならない場面もたくさんあります。
そして話を聞いてしまった以上、何も知らない、関係ないでは済まなくなってしまう訳で。
話は少し突飛してしまいますが、
全てを知らせることがいいことだとは私は思わないのです。
知らないからこそお互いに尊敬しあえる何かがあり、
知らないからこそいつだってある意味では「他人」でいることができる。
でも逆に言えば知りたいと思うからこそ人と人との距離は縮まっていくのかも知れません。
書いて文字の通り「好奇心」は身を滅ぼします。
ただその「好奇心」が人間を人間たる生き物に確立している。
その知りたいと思う「好奇心」で傷ついたことがある人が、
その麻薬にも似た「好奇心」を人に売りつけてしまう。悲しいことだと思います。
話の主役になるのが楽しいのは分かる。
自分しか知らない情報のように、好奇の視線を一心に浴びるのはある意味快感かもしれない。
だけど、そのあとにどれだけの代償が待っているのか、彼女は考えたのだろうか?
きっと、否、絶対に考えてはいない。
人と人との関わり合いの中で生まれる、ズレや隙間はしょうがない。
それがあるからこそ人は関わっていけると言っても過言ではない。
仲良くなりたい、近づきたいと思うならば一度は相手の持つ自己防衛という名の剣に刺される覚悟が必要なのだと私は思う。
そして自分もまた、自分の剣で相手を貫く覚悟が必要だと。
ただ一番必要なのは、そうまでして関わりたい相手なのかをよく考えて
引き返す勇気ではないだろうか。
私はその勇気こそ最も日本人に欠落している能力だと思う。
相手が自分にとって必要な存在なのかどうかを客観的に見極め、
引くときは引く。それが出来てこその関わり合いなのではないだろうか。
刺していいのは、刺される覚悟がある人だけだ。
そして覚悟のある人を貫いていいのも、刺す覚悟がある剣だけだ。