今日、久しぶりに思うことがあったのでここに書かせてください。


正直自分には理解ができないし興味もない。

毎日生活していると当たり前のようにそういうことに遭遇します。

そんな話聞きたくもないし、聞いたところで決して理解はできない。

それでも形式上話を聞かなければならない場面もたくさんあります。

そして話を聞いてしまった以上、何も知らない、関係ないでは済まなくなってしまう訳で。


話は少し突飛してしまいますが、

全てを知らせることがいいことだとは私は思わないのです。

知らないからこそお互いに尊敬しあえる何かがあり、

知らないからこそいつだってある意味では「他人」でいることができる。

でも逆に言えば知りたいと思うからこそ人と人との距離は縮まっていくのかも知れません。

書いて文字の通り「好奇心」は身を滅ぼします。

ただその「好奇心」が人間を人間たる生き物に確立している。


その知りたいと思う「好奇心」で傷ついたことがある人が、

その麻薬にも似た「好奇心」を人に売りつけてしまう。悲しいことだと思います。

話の主役になるのが楽しいのは分かる。

自分しか知らない情報のように、好奇の視線を一心に浴びるのはある意味快感かもしれない。

だけど、そのあとにどれだけの代償が待っているのか、彼女は考えたのだろうか?

きっと、否、絶対に考えてはいない。


人と人との関わり合いの中で生まれる、ズレや隙間はしょうがない。

それがあるからこそ人は関わっていけると言っても過言ではない。

仲良くなりたい、近づきたいと思うならば一度は相手の持つ自己防衛という名の剣に刺される覚悟が必要なのだと私は思う。

そして自分もまた、自分の剣で相手を貫く覚悟が必要だと。


ただ一番必要なのは、そうまでして関わりたい相手なのかをよく考えて

引き返す勇気ではないだろうか。

私はその勇気こそ最も日本人に欠落している能力だと思う。

相手が自分にとって必要な存在なのかどうかを客観的に見極め、

引くときは引く。それが出来てこその関わり合いなのではないだろうか。


刺していいのは、刺される覚悟がある人だけだ。

そして覚悟のある人を貫いていいのも、刺す覚悟がある剣だけだ。

ついにやってくる受験勉強。

中高一貫校に在籍していた私としては、

実に小学6年生以来の受験勉強です。

私の性格的にやる気がみなぎるときは空さえ飛べそうな勢いなんですが

無気力スイッチが入ってしまうともう、海底2万マイルです。←

つまり波がありすぎるんですよね。

あと半年でどうにかこうにか、もう少しくらいメンタル強くしないと

受験戦争と約2年ぶりの日本の夏の暑さとで、確実に死ぬ気がします。


行きたい大学は決まっているし、

そのための勉強をしたい予備校も既に決まっています。あくまで自分の中では、ですけど。

幸い母も私の意思を尊重してくれているので、あとはもう「努力努力努力」の一言に尽きます。

11月の最後の週に日本に一時帰国するのですが、

そのときに志望校のキャンパスツアーと説明会、予備校の説明会と入学手続き、

それから高校卒業資格を得るために籍を置かせてもらっている学校にも行って

留学の感想文や美術や体育など、まだ習得できていない単位習得のための講義を受け…

「暇してると思うから、気軽に連絡してね♪」なんてメールをいろんな人に送りまくっておいて、

今更かなり忙しいかもしれないことが判明しました。笑


私は目標を達成するために必要なことを逆算していって、

細かいことをいろいろ調べて計画立てするのが大好きなんですが、

年末から来年までの計画を立てているだけで頭がパンクしそうです。

大丈夫かな、私。大丈夫にするしかないんですよね、自分の力で。


ということで。

勉強のことはもう今日は十分考えて、いまやらなきゃならないことは見えてきたので

楽しいことを想像してリフレッシュしようと思います!!^^


とりあえず帰国したら、

11月最後の週は久しぶりの日本を満喫しようと思います。

帰国した次の日に母と箱根に温泉旅行に行く予定なので、それに一泊二日。

帰ってきた日は私の誕生日なので、午後から大好きな友達たちに再会。

遠くにいる私のことをいつも心配し、気にかけてくれている友達たち。

先日「誕生日パーティーを開こうよ!久しぶりにみんなで集まって!」というメールが来たときは

本当に本当に嬉しくて。私は周りの人に恵まれているんだなって深く思いました。

そういう気持ち、これからしっかり返していきたいなと思います。


その次の日は念願の美容院に行きたいです。

日本にいたころは2か月に1度のペースで行っていた美容院に、

約7か月も行っていないので、もう髪の毛ボンバーです。やばいです。

むしろこのままあと2か月少し耐えられるのかが本気で心配です。

その次の日には長期でお休みさせて頂いていたバイト先にも行かなくちゃ。

4月に本帰国したら、毎日午前中はバイトをして午後は予備校。

という生活を送ろうと思っているのでその旨を伝えて「これからもよろしくお願いします」と。

あとは…お世話になった方々に会いにお店にも行かないとですね。

きっとみんな笑顔で迎えてくれて、もみくしゃにしてくれるんだろうな~と今からすごく楽しみです。


と長々、私の想像と願望ばかりを書いてしまいましたが

日本に帰ったらやりたいことや会いたい人を書いているとキリがないのでこの辺で。

ブログを書きながらとても幸せな気分になれた夜でした。

明日からも勉強頑張ろうと思います。

今日、友達と話していて話題に上った噂話について。

いい機会なので自分自身が思うことを書いてみます。


噂話は確かに楽しいです。

自分が全く関係していないことなら特に。

「噂」と辞書で調べてみると

【そこにいない人を話題にして、その内容が事実であるかどうかを問わず

言い交されている話のこと。また、それを話すこと。】

と出てきます。

そう、ここに書いたように問題なのは

【その内容が事実であるかを問わず】という点なんですよね。

まあ、当たり前といえば当たり前かもしれません。

本当なのか嘘なのか、それが分からないから話が進み

推測していくことで話がもりあがるのだから。


けれど、噂話はあくまで「噂話」であり続ける必要があるのだと私は思います。

その内容の根本は分からないことを忘れてはいけないんだと。

人から人へと話し継がれていくうちに、きっと人はそれが「噂話」であったことを忘れてしまうんです。

それはもう、故意ではなく無意識に。

何度も何度も自分なりの見解を述べている間に、それが本当のような気がしてきてしまう。

人って怖いなって思います。

その人の中にもちろんもれずに私も含まれていることにもただ、怖いと思う。


一度広がった噂話に収集をつけるのは、ほぼ不可能です。

たとえ真実を知る人が声高々にそれを告げたとしても。

なぜなら真実なんてその時点で誰も求めていないからです。

その話の真意が知りたくて話し始めたはずなのに、いつのまにかそんなことは二の次、三の次で、

一番大事なのは、自分たちが好奇心をそそられる更なる過激なスパイスだけ。


かくいう私もそっち側の人間になってしまったことは何度もありますし、

その噂話をされている張本人になったことも何度もあります。

だからこそ今思うのは、噂話が生むものなど何もなく

ただ、ただ時間だけが無意味に浪費されていくだけだということです。


それがわかった今、私は噂話をされる側について考えています。

何も気にならない、勝手に話してくれればいい。そう思っているというと嘘になりますが

少なくともただ自分よりも低レベルな人間が低レベルな話をしていると思うことはできます。

綺麗事を言うようですが、やっぱり

「自分のことをわかってくれる人が一人でもいればそれでいい」んですよね、結局は。

そんなに割り切れないというひともたくさんいるだろうし、それが悪いことだとは思いません。

人は誰だって嫌われるのは怖いし、苦しい。

出来れば生ぬるいお湯の中に、ずっと浸かっていたいと思っているはずです。

私ももちろん、出来ればみんなに好かれていたいし、噂話なんてされたくありません。

だけどそんなこと言い始めたらキリがないんですよね、結局。

そうやって割り切って考えてしまうのは寂しいことなのかもしれないけど、

自分に優しい逃げ道を一つ二つ作ることくらい許されると思うんです。


だから私はもう、噂話は気にしません。

悲しいことだけれどそういう人たちとは今後良い人間関係を築いてはいけない。

ただそれだけのこと。

自分のことを理解してくれる人がいることに感謝して、

その人を大事にすることに時間をかけたほうが、よっぽど有効的な時間の使い方だと思います。

今日の夜はいろいろ考える夜でした。

もともと頭でっかちに想像ばっかりしてしまう性格なんですが、

時々本当にこうやって考えてるだけでいいのか、今できることは何もないのか。

きっと今私がこうしてる間にも、私が掴みたい夢に向かって歩んでいる人がいるのに、私自身は今描いた夢に本当に近づいているのか。

そう、思う時があります。

その度に自己嫌悪に陥って、結局は今できることをやるしかないって

いつも同じ結論に辿り着くんだけれど…やっぱり悩む夜はまたやってくる。

仕方のないことだし、悩まないことがいいことだと思っているわけでもありません。


自分に厳しく。言葉にするのはとても簡単だし、拍子抜けするほど短い言葉。

だけどそれを実行することが本当に難しいんだと、身を持って知っています。

だからこそ「最終的には自分との闘い」という言葉が胸に刺さる。

未だに私は成長したいと思いつつも、自分に厳しくできない毎日で。

他人にばかりイライラして、人のせいにして、そんなかっこ悪い日々を送っていました。

でもやっぱりそれを断ち切れるのは他でもない自分しかいないんですよね。


まずは小さな積み重ねから始めてみることにします。

「優柔不断な自分」という敵を倒したいから。

周りのせいになんてしないで、ただ自分に厳しく、

今自分に本当に必要なものはなんなのかを見極められるようになりたいから。

願わくばその先に待っているものが自分にとって輝かしい未来であることを祈って。


ただ、自分の道を進むのみです。


さっきたまたまネットを見ていたら、

日本の高校時代の先輩の名前を見つけました。

なんでも今年の地区大会の脚本を書いたようで。

全力で後輩たちが羨ましくって、ちょっと妬けちゃいます。笑

去年は先輩も忙しかったし、その中で演出のお手伝いして貰えただけで

本当に本当に嬉しかったのだけど、やっぱり一度は先輩の脚本で演じてみたかったというのも本音。


どんな脚本なのかものすごく気になって、

5か月ぶりに先輩にメールを出してみました。

先輩のことだから簡単に教えてはくれないだろうけど

このくらいの我が儘はご愛嬌です。粘ってみます。笑


先輩は私にとってやっぱり特別な人です。

あんまり褒めるのもちょっと悔しい気がするけど(笑)

先輩に出会っていなかったら確実に今の私はいないし、

私に多大なる影響を与えてくれた人。

ある意味では永遠に頭が上がらないのかもな~と思うほど。

そんな先輩に憧れて始めた演劇は今では私の夢になってます。


演技というものに興味を持った中学2年生の冬、

私は右も左もわからずに中高一貫校だった母校の演劇部の門を叩きました。

そのとき高校2年生だった先輩はただただ大人、という印象で

初めて見学したときはそのスパルタさに完全に面喰ってしまって

第一印象は「怖くて傲慢な老け顔の人」(死んでもこんなこと言えないけど)笑

だけど、それからどんどん先輩のもつカリスマ性やリーダーシップに魅せられて

すっかり先輩教(笑)になった私は留学するまでの約2年間ずっと先輩の背中を追いかけていました。


こうやって思い出として書いてみると、すごく素敵な青春だけど

演劇部に所属していた時はそれはもう辛いことの連続で。

演劇は好きだけど「演劇部」は嫌い、と友達に泣きついたことも数知れず。

だけど続けられたのは確実に先輩という存在があったからでした。


これからも私が演技を続けたいと思う限り、

きっとずっと立ちはだかる先輩という壁。

他にも演技がうまい方は星の数ほどいるし、それは理解しているけれど

やっぱり先輩はなぜか別格で。

いつか同じ目線で話してみたいな、と思うからこそ頑張れる。

そんな人に出会えた私は幸せ者だな~と他人事のようにしみじみ。


今日は土曜日なので、多忙な先輩の返信を気長に待ってみることにします。