まず上差し

上のタイトル部分に監督名を打ち込んだら「飼う留守巻き」と変換に。

笑いましたとも爆  笑爆  笑 消さないでおくわ。

 

16年前=2003年に観たカウルスマキのカチンコ「過去のない男」 について書き記した

私の映画備忘録【2006年2月・記】です。

 
監督の意図を読み取りたくなったけれど、あまり深読みしなくて良いと知る。客観的に観られる映画なのね。主人公の事態は深刻なのに、淡々としていて、敢えて深刻さをフェイントし、ユーモアすらあるのね。味があるわ~合格

 

もう3年経ったかしら・・・恵比寿ガーデンシネマで、観たいものが満席で「それじゃあ、先にこの作品カチンコを観よう」と時間潰しで見たのが、私にとって初カウルスマキ監督作品鑑賞だった。 時間つぶしなんてとんでもない、その個性的な作品から漂う質感にハマってしまい、カウルスマキが気に入ってしまった(感性で決定ドキドキ

程なくしてカウルスマキ作品カチンコを何作続けて観漁ったカチンコカチンコカチンコカチンコ

 

話し
フィンランド・ヘルシンキに着いた男(マルッキィ・ペルトラ)は暴漢に襲われ、大怪我をしたのがもとで過去の記憶をすべて失ってしまう
叫び。 記憶をなくした彼が 生きるためにすべて「一(いち)から」始めていく・・・。 人は「生きる晴れ」という記憶だけは失っていないのね・・・取り敢えず生きようと動き出すのだから。

彼が失くした記憶は、「自分は誰なのか、 どこで生きていたのか、 職業はなんであったのか、どんな家に住んでいたのか」など全てであり、 その今まで築いてきたものは、本来誰もが「裸で生まれた自分」に少しづつ貼り付けてきたに過ぎないもので、それらをすべて剥がしてみたらどうだろうか、無駄なものを省いて最低限にしてみたらどうだろうか・・・という軸があるように感じた。人が、ある日突然同じ経験(記憶喪失)をした場合、「私は金もあり
チョキ、地位もあったんだぞいグッド!」などと言うこともないわけだ(自分が誰だか解らないのだから)。
裏を返せば「人はあまりにそういうもの(貼り付けてきたもの)に しがみついてはいやしないか。」と、そんな観念を基本に、映画作りをしているようだ。なので

俳優極力無表情、必要最低限に削ぎ落としたセリフしかも棒読み風、演技も必要最低限の動き、オーバーアクションなし、という作風も納得だ。そんな中でも感情はしっかり読み取れるのよね目  監督の腕ね~ビックリマーク

 

これ以上失うものはないというところに主人公を置いてみた。辺りは貧困の世界だ。
まず雨風をしのげる住まいを探し、着るものを得、食べるものを得、生きるための最低限の工夫をする。

でもそこに悲愴感はなく決して不幸には見えないのニコニコ  

・・maybe・・物に溢れ、虚飾に満ちた資本主義社会への皮肉充分でね。

 

さて、彼は救世軍で出逢った女性と惹かれあうラブラブのだ。とすると 「彼の失った記憶(=彼のもっていたもの)に何の意味があったのでしょう」。 幸せゲット!!

 

淡々と日常を描きながら、それでいて温かみのある世界。一度観ると忘れない映画の仲間入り。作品の個性も頭にこびりつく。


*音楽もなかなか良い。
*この映画の中で お寿司が出てきたのにはびっくり。これは何か意味が・・・?             のまま今日を迎えてしまいました(←2006年2月記のまま)。  

 

*この後、アキ・カウルスマキが日本びいきであることを知りましたけれどね。

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★恵比寿ガーデンシネマと言えば・・・

1990年代半ば頃に出来た恵比寿ガーデンシネマは、雰囲気の良いミニシアターで、当初はここでしかかからない良作の映画を観ることが出来(=通の気分)、客層もよく、好きな映画館だった。最初の頃カチンコ「スモーク」もここで観たなあ。そのうち私は一時期多忙になって、足が遠のいてしまいあせる最後に観に行ったのはカチンコ「プロバンスの贈り物」だったかしら・・・。閉館と訊いた時はとても寂しかったしょぼんショック!けれど、再開の話を聴きほっとしていたOK。また行ってみましょうサンダルサンダル

気に入っている映画館って、その作品を観に行った頃の自分も想い出に重なるので、閉館と訊くと、ホントに寂しいのよね~。