また今年も3月10日が来た!
もう毎年この時期になると書いている東京大空襲。

僕の生まれた頃と今とでは戦争経験者の数が数段違う、
だからこそ毎年少しでも伝える責任があると思います。

アーカイブです。
去年書いた物と同じです。

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東京生まれ、東京育ちの私としてはやっぱり
毎年3月10日となるとこの事を考えてしまう。
無論 私自身は戦後生まれなので実体験は
ありません。

でも祖母、叔父をはじめとしやたら東京下町には
親戚が多いもので、子供のころから実体験の用に
この話は聞かされていた。
”東京大空襲”ってヒロシマやナガサキに比べて、
あまり有名でない、地味な存在にされてきた。

でも、子供のころに話を聞かされ、”ガラスのうさぎ”
なんてゆう映画も学校で見させられたりした。
実際うちの祖母や母等はたまたま水戸の親戚の家に
疎開していたから戦災は逃れることができた。

もちろん、もしこのとき東京に母が東京にいたりしたら
私はいなかったかもしれない、母の実家は当時浅草
だったので、空襲まん真ん中だったからね。
で、今日早くからTVを見ていたら、やっぱり多くのNEWSが

この話題を放送していた。
もちろん、空襲、戦争をおこしちゃならないし、歴史の記憶として
忘れてはいけないと思う。

戦争というのは外交の最終手段であって、ちゃんとルールがあります。
捕虜交換もそうだし、大原則は兵隊以外は殺しちゃいけない、
軍需工場や軍艦、軍施設以外は攻撃してはいけない!

これは大原則であり、これに関しては今でもそうである。
でも、なぜ米軍(連合軍)は東京を空襲したか?

皆さん知っていますか、結構この辺の事はちゃんと説明させていないけど、

私の調べた範囲では......
(以下当時の米軍の認識)
日本は家内工業が多いので、きっと多くの一般家庭でも武器兵器を製造しているに
違いない...ということで日本の一般家庭を攻撃する事は軍需工場を攻撃するのと
同じことである....そこで働く女も、子供も(赤ん坊も)みんな工員であるので、
全員焼夷弾で焼き殺しても良い。

ということだったらしい。

同じ理由でその後日本の所要都市をめちゃくちゃにぶっ壊して、女子供を焼き殺して
最後に呉の海軍基地を攻撃するという名目で広島に原爆を佐世保があるということで、
長崎に原爆を落とした。
ほんとうは、これが戦犯でなくなにが戦犯なのか?と思う。

本当に当時のアメリカは日本にヒドイ事をしたもんだ。
でも、私もだけど今の時代になってまでどこかの中国人みたいに執念深く
アメリカを恨んでいない。

今の文化や、音楽は彼らに教わったものが多いし、やっぱりアメリカはいい国だと
思うところもあるので。
毎年できるだけ、この日ぐらいは東京大空襲を考えるようにして、会社の若手や息子や
おれの話を聞いてくれる人がいるうちは話をしたいと思っている。

心に刻みつける必要はないけど、たまには思い出したい。
1945年3月10日 東京浅草、両国を中心とした下町はまる焼けになった、
お母さん、お父さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、妹、弟、赤ちゃんがみんな
焼け死んだ............

2008年3月11日

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そして今年今更ながらYOUTUBEで新しい画像を発見しました。
ロメインに腹が立ちます。
これは人間として......

日本が行った真珠湾攻撃、これは奇襲だったけど一般市民は
攻撃していません。



<東京大空襲....米国視点>