今週始め17日(月)、瀬戸グランドに足を運んだ。
昨年の都市対抗以降、選手とスタッフの一部に入れ替えがあってから、初の訪問となった。
勇退した選手は、投手は若林・木部、内野手は長曽我部、外野手は池田・秋田の5名。
若林は新人時代の真上投げから腕を少し下げるフォームに改良するなど柔らかさを加え新たな道を模索していた。
木部は最速153キロ右腕の潜在能力を発揮するも、全てを出し尽くべく投球術を見直していた。
長曽我部は選球眼を活かし打率より出塁率にこだわり、チャンスメークの役割を果たす方策を考えていた。一塁守備も無難にこなしていた。
秋田は和田臨時コーチからミート力、長打力を伸ばす術を伝授され、スラッガーの本能に目覚めていた。ライト守備の姿も様になっていた。
池田は四番やクリーンナップを託された時もさることながら下位でも存在感を増していた。ライト守備を秋田に譲らないベテランならではの意気込みを出していた。
5名の選手には今までその時その場面で勇気、希望をもらい、これからまだまだ力を発揮する期待があった。
昨年の都市対抗以降、選手とスタッフの一部に入れ替えがあってから、初の訪問となった。
勇退した選手は、投手は若林・木部、内野手は長曽我部、外野手は池田・秋田の5名。
若林は新人時代の真上投げから腕を少し下げるフォームに改良するなど柔らかさを加え新たな道を模索していた。
木部は最速153キロ右腕の潜在能力を発揮するも、全てを出し尽くべく投球術を見直していた。
長曽我部は選球眼を活かし打率より出塁率にこだわり、チャンスメークの役割を果たす方策を考えていた。一塁守備も無難にこなしていた。
秋田は和田臨時コーチからミート力、長打力を伸ばす術を伝授され、スラッガーの本能に目覚めていた。ライト守備の姿も様になっていた。
池田は四番やクリーンナップを託された時もさることながら下位でも存在感を増していた。ライト守備を秋田に譲らないベテランならではの意気込みを出していた。
5名の選手には今までその時その場面で勇気、希望をもらい、これからまだまだ力を発揮する期待があった。