『何時、どうなるか、わかりません。』
そう伝えられた三日後に父は亡くなった。
ずっと何時、どうなるかわからない人だったので、お医者さんにそう伝えられても生きる死ぬの話には受け取れずにいた。
どういう状態で生きるのか、元気に笑えるから眠りながら呼吸のみをする。そのどの場所に父はいることが出来るのだろう。生きるってどのへんまでなのだろう。
そんな事を考えているうちに死んでしまった。
仕事が終わって、朝の五時頃母から連絡が入りタクシーで病院に向かう。呼吸は機械で膨らみ萎む、目はなにも見ていない、そんな父が待っていた。

父が亡くなって三ヶ月ちょっと。
まだそれだけしか経ってないのか。今驚く。一年と三ヶ月ではないし…やはり三ヶ月。

日々は普通に流れていると綴ろうとしたけれど、一日一日の時間はとっても長く、季節をたった一つ越えただけとは思えない位の気持ちの流れがあったんだなと思う。

通夜、葬式、火葬、追悼会、お骨引き取り、銀行、役所。
人が一人亡くなる事は自分自身とお別れする前に、父が亡くなりましたとたくさんたくさんの人に伝えまくる。

『父が亡くなくなったんです。』何度も何度も言ううちに、
私の父は亡くなったんだ。と確認する。


もし本当に悲しい事があった時でも、私は笑って働くんだろうな。
それが出来る位の大人になったような気がして淋しい。

大切な人とゆう言葉は使いたくないが、深く深く好きな人がいなくなりそう。
ただただ悲しい気持ちがたくさんあって、その中でどうゆう判断をするかが大事。
今を見て固まっていたら、本来の何かを見逃しちゃう。
どうして欲しいんだろう。
そればっかりが離れない。
生きようとしている目なのか、止めてくれといっている目なのか。
自分自身で呼吸が出来ないのは生きているのか死んでいるのか。。
気持ちはどれくらい残っているの?
ただ生きていてくれれば良い。とは思えない。どうしたい?その力になりたいのだけれども。
合わなかったけれど、何か意志を出して見開かれてた父の目が離れない。
人工呼吸器で肺が膨らみ、しぼむ。どうしたい?教えてほしい。
『頑張って。』と言った自分に後悔。そんな風に思ってないのに。真っ直ぐな目は何かを見てた。その見てる方向を想像する。そこには感じた事がない感情が湧いてきて、胸がぎゅうっと苦しくてたまらない。