よかったら読んでください。
わたしは現在社会人2年目の春です。
そうつまり、まだ就業経験は1年ちょっとしかありません。
そして次にいく会社が、3社目です。
そうつまり、社会人歴1年ちょいにして3社を渡り歩いたつわものです。
はい、すみません。全然つわものじゃありません。
むしろ世間の目はものすごく厳しいです。
私は 自分でいうのもなんですが、割と真面目に生きてきました。
学生生活は小学校から大学までずっと部活動一筋。
親のいうこともちゃんと聞きながら、そこそこの進学校にちゃんと受験して、
それなりのブランドもった大学いって、
とちゅうカナダにいったりしたけど自分なりに順風まんぱんな人生でした。
就職活動もちゃんとしました。
3年生の秋くらいからいっぱい考えて動いてエントリーして、
東京と京都(大学は京都です)の往復も数え切れないくらいして
みんなに考えすぎーっていわれるくらい考えて、
わりと早めの4月にベンチャーながら大手の人材広告の会社に内定をいただきました。
ベンチャーだから一生その会社にいるつもりはなかったけど、
まさかまさか世間で噂になっている1年ももたずに辞めるひと
に私がなるなんて、本当に思ってもいませんでした。
社会人1年目の4月から、広告の営業として働きました。
最初はすごく楽しかったです。
営業職に抵抗はあったものの、
新規開拓よりもルートというか既存のお客さんに多く関われる部署で、チームの
同期も先輩も大好きで、お客さんも通ううちに仲良くなり大好きで、このひとたちのために
がんばろーってゆう気持ちがたくさんたくさんありました。
わからないことだらけながらにそれなりに順調。
営業としての成果も出ました。
今までわりと何でもやればできるタイプでした。
へんな話、少し期待されているのも、周囲から聞いていました。
その期待にこたえたいという気持ちも大きかったです。
その夏に、部署の1年生全員の異動がありました。
そこから私の社会人人生は大きく変わり始めました。
その部署にうつってから、私はだんだん仕事ができなくなっていきました。
くわしい内容はあまり書けないのですが、
部署がうつってからはまず部署の人たちと合わなくなりました。
そして毎日テレアポと飛び込みをひたすらすること、
これしかすることがないのにできなくなりました。
最初はかけれていた電話がだんだんだんだんできなくなってきて
受話器がとれない
電話をしようと考えるだけでほんとに気持ちがわるくなる
アポがとれたらフロア中に響く声でさけばなければならない
まわりの人が電話で営業をしているのを聞いているのもだんだん無理になってきました
会社では電話をかけるテレアポタイムのようなものが決まっていました。
そのあと反省会をして、振りかえりや自分の今日の結果をいわなければいけません。
電話をかけられない自分はその時間にもでられるわけはなく、気持悪いふりをして
あるいはほんとうにきもちわるくなってトイレに30分以上ひきこもっていました
でもまだ手段がのこっていました
企業への飛び込み です。
大嫌いだったのに、でんわがだめになってからは飛び込みの方が楽になりました
自分のペースでできるし誰にもみられない。
行った形跡さえ残せれば何をしたかも判断されない。
それでもいやでいやでしょうがないときはドアのまえで
インターホンのまえで何十分もくるしみながらたちすくんでいました。
そのうち、会社にいけない日がでてきました。
スーツが着たくなくてたまらない。
いってもできることがない。
みんなの目が、できないコとしてみられる自分が本当にいやだ
社会人として、営業として、成果をあげるための営業行為。
それがうちの場合はテレアポと飛び込み。
そしてそれが出来ない自分。
すごく甘いと思いました。
みんなができてるのに私が出来ない訳ないと思いました。
いやだとかできないっていう理由なんて、何の理由にもならない。
おかねをもらっているんだから、やらなきゃいけないことは
やらなければいけない。
わたしの思いなんて関係ない。
いったん会社をはなれると、よし明日は電話をかけよう、簡単だ、かけれる、って思えました。
それが次の日デスクの電話の前にいくと、受話器に手をかける、という行為すら気持ち悪い。
一日中下をむいて、誰とも話さない日が続きました。
話しかけられたくありませんでした。
笑顔をつくれませんでした。
毎日毎日仕事ができない自分になっていくのが本当につらくて認めたくなくて
毎日毎日うちに帰っては勝手に涙がながれていました。
誰かに話をきいてほしい、たすけてほしい。
だけど、こんな話をして、自分が甘いとかできない人間だと思われるのがいやで仕方なくて、同期以外にはほとんど言えませんでした。
続く
where there is a will, there is a way
ゆあ
