終戦記念日。

戦争で亡くなられた方、戦争で苦しんでいる方全てに祈りを捧げます。


ごめんなさい。今の僕には何もできない。何ができるのかわからないのです。だから、せめての償いとして祈らせてください。


別に僕の人生は死を脅かされるような人生を送っていない。今、脅かされてる人達にとっては、のほほんとした生活で、裕福な生活。

寝る場所もごはんも服も帰る場所もある。

何も不満を持つような人生でないと思う。けど、自分の事でいっぱいいっぱい。
まぁ、人の悩みは段階に応じた悩みがあるのだから、比べることはできないし、比べても意味がない。

人権だとか休みがないとか叫んだところでどうしようもない。
でも、一つだけ人間に平等に降りかかる悩みがある。


それは死。


どんな人間も死ぬ。どんな人間も死の対策をしている。

保険をかけるも然り、道路を渡るとき左右を見るも然り、そして、時には攻撃的に出ることも。

殺られる前に殺る。

よく言えば正当防衛だが、単なる言い訳。でも、これが今の戦争の大きな要因の一つだと思う。

世界大戦は侵略戦争で、自分たちが殺られる前に全て侵略して、殺られないようにしようとした。

戦争はいけないこと。繰り返してはいけないこと。もう起きないことを切に願う。
ただ、当時の人達が正当防衛と言ったら間違いでもなかったのではないかとも思う。

大切な人達を奪うことは誰も許された行為ではない。けど、奪う側も大切な人達を守るためだったかもしれない。

正当防衛、立派な言葉である。

誰にも何も言わせなくする。攻撃なのに防衛。意味がわからない。

言葉は僕ら人類に何も与えたかったのか。

とはいえ、言葉がない動物さえも生きるために敵を殺す。戦争は本能の延長なのかもしれない。

言葉は助長したにしかすぎず、本能の延長なら止めることはできないのかもしれない。人間は愚か者だから。

ただ、現代の戦争は単なる広告でしかない。軍事の、政治の、経済の。だけど、そこで生まれる哀しみの連鎖は止めなければいけない!哀しみは哀しみしか連れてこれない。

哀しみが笑顔を連れてくることはなく、会いにいくこともないだろう。

だから、僕は常に笑顔でいて、笑顔を連れてこよう。僕の周りにいる人達にだけでも。

そして、それが続く場所を。

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