2月以来の近況更新です。
6月に大学1年コースのアートセラピーを無事修了、今年の10月から晴れて2年コースの大学院生に進級しました。
内容は、、、前年同じく講義や実習の授業、プラス研修が始まり、クライエントの特性に関する文献を読みまくってます。
ディスレクシアで英語の読解が極端に苦手なのに更年期の脳みそにはちょっと酷なタスク、、、でも、やらないという選択は今のところないので、ひたすら読み続けるのみ。
改築中だった家も4月末にようやく工事が終わり、久しぶりに自宅に戻ってきました。
実は今回のポルトガルでのリノベーションが結構大変で、イギリスでの経験とは全く勝手が違いました!
職人さんたちとのコミュニケーションは、文化の壁を強く感じる場面も多々ありました。デザインは私が担当したにもかかわらず、最後は交渉に疲れ果てて、伴侶に丸投げ。
それでも、こだわりと譲りのバランスをどう取るか、という学びになったような、、、今でも気になる箇所を見るたびに、「これを譲れた自分、えらい✨」と褒めています👏
私たちには少し大きい家なので、上下階をそれぞれを独立した3LDKの個別のアパートに分け、庭とプールありの上階はホリデーシーズン中に貸し出せるように。
そして普段は子供達が占領してる小さめの下の階はホリデーシーズン中の私達の住居に、、、小さいけど、まあ、短期間ならなんとか4人でも大丈夫です。
何よりも伴侶の仕事が不安定な今、家の一部を運用できることは、精神的にも経済的にも大きな安心材料となりました😮💨
そんなこんなで過ごしていた春、前にもロンドンのマイホームは去年売却したと書きましたが、その資金をどう使うかずっ〜と考えていました。
2月頃、ポルトガルの自宅近くでAirbnbするのに良さそうな物件を見つけて購入を検討したものの、少し出遅れて買えずじまい。それからも物件探しを続けていましたが、どうもしっくり来るものがありませんでした。
そんな中、3月に息子がポルトガルに移住してから毎週3日、欠かさず続けていたサーフィンのトレーニングを辞めたいと言い出したことが大きな転機に。
息子は去年の初め頃から外国人移住者が多い(ここ大事!ポルトガル人ではなく外国人達ね!)サーフクラブで「チャイニーズ」と呼ばれ始め、今年に入ってからはその差別的な扱いが増えていました。家族で支えながら過ごしてきましたが、息子はロンドンにいる友人たちとのつながりに癒しを求めるようになっていました。
以前は「ハーフジャパニーズ、ハーフイタリアン」と自分のことを自然に語っていた息子が、ポルトガルで1年半ほど過ごした後、「僕はブリティッシュだ」と言い始めたのです。
驚いたのは、その変化が息子だけではなく、差別的な扱いを受けたことの無い娘まで、兄の発言に続いて「私もブリティッシュだよ」と口にするようになりました。
子供達曰く女子は差別され難いようですが、それでも、自分のアイデンティティをそっと組み替えていったのだと思います。
ロンドンにいたときは周りにブリティッシュとして受け入れられていたからこそ、誇らしく自己の多様性を彩るハーフのアイデンティティを自由に「デコレーション」のように付け足せていた。けれど環境が変わり、外からの扱われ方が変わると、人は必要に応じて「自分の核」を守る言葉に自然と戻っていくのだと実感しました。
そのとき私は、この子達は、根っこの部分では 英国人 なんだ、と、改めて気づかされたのです。
そして子供達にとってこの多感なティーンの期間を安心して「自分でいられる場所」を持つことが、どれほど大切かということを。
子供達の変化をきっかけに、伴侶と「子どもたちが大学に行く頃、またロンドンに戻れる家が必要かも」と話し合いました。
そして、5月にロンドンに小さな、ヴィクトリアンテラスハウスを購入しました。
場所はストラットフォード。以前住んでいたハックニーのように洒落てない地域です😅
私達家族がいつ戻るか分からないので、ライフスタイルに柔軟でフットワークの軽い若い女子達に貸出しました。
将来、子供達が「帰る場所」として持っていられる家。
いまの私たち家族にとって、とても大切な選択でした。
こうしてポルトガルの家の改築が終わり、ロンドンの家も無事貸し出し中、やっとひと段落😮💨
これで私は勉学に集中でき、資金的にも安定した生活が始まると思っていたのですが、、、人生はこうも思い通りに進まないものか🫠
続きます🤪

