ずっと前から左胸に痛みがあったけど、胸が張ってるからかと思ってた。
でも最近やたらと胸に痛みが多くて…
通っていた病院の乳腺外科に問い合わせたら今は受付でなにと言われた
そして自分で乳腺外科を探し
8月24日に予約を入れた。
24日は初診なので、問診票と先生に触診されて、来週、マンモグラフィとエコー検査します。
と言う事で終わりました。
30日に検査。
マンモグラフィは胸をは挟まれるから痛いくて、痛い!と叫びながらしました。
エコー検査。
左胸を見る時にモニターが見えたのですが、素人目で見ても明らかにおかしなところが…
ある箇所だけ石みたいな陰からみえました。
他の部分は白いのにその部分だけ明らかに黒い…
まさか、そんな事ないよね…
検査結果は来週のはずだけど、すぐに診察室に呼ばれた瞬間、嫌な予感がした。
診察室に入り椅子に触った瞬間…
乳がんです!と医師に告げられた
頭の中が真っ白になると言うけど私の場合は、その言葉がループしていた🔁
紹介状を書くので早急に言って下さい。と。
待合室で待っていたら涙がポロって…
ヤバイまだここ病院だしってなんとか耐えた。
家に着きとにかく紹介された病院に連絡したら、その日は金曜日だけど午後はやっていなく土日は休みなので、9月2日に精密検査に聞く事に。
9月2日、初診なので問診票書いたりして、また触診の後、エコーを撮ることに。
その後、診察室呼ばれて、細胞検査をするために胸に麻酔をされて直接細長い針を入れて細胞を4箇所から摘出しました。
麻酔が痛くて…
とりあえず、細胞の摘出をして結果は1週間後と言われて9月10日。
本当にその時間が辛かった…ステージも分からないし、どの程度なのかもわからなくて…でも乳がんと診断さてから、細胞をするまでに気持ちも落ち着き受け入れてたのでその時は気分も落ちることもなくやり過ごせていた。
9月10日、診察室に呼ばれて、左胸の癌悪性.とのことでした。
覚悟してたから。
部分切除になると思いますが、広範囲に広がっていた場合、全摘出なります。少しでも残ってしまうと再発してしまうのでと伝えられた。
入院は4日ほど。
なにもなければ4日で退院なのでそこは安心しました。
そしてこの日は血液検査、CT検査をした。
9月12日はMRIの検査。
この検査でステージも分かり、転移してるかも分かり、部分切除か全摘出かが決まる。
9月19日には全てが決まる日です。
流石に私も全摘出と言われたら泣くと思います
年を重ねていくたびに胸が気になるからナイトブラで形が崩れないように気をつけてきたし、寄せて上げて見栄え良くしてたけど、全摘したらと2度と谷間を作る事も出来なくなる…
46年間ともに過ごしてきたわけだし。
命とるか?乳とるか?と言われたら…
乳とって、命を選びますよね。
流石に両親には言えず兄がけには伝えました。
父も肺がんで余命宣告されてるし、母は車椅子がないと歩けないし…そんな中、癌になったとは言えない。だから手術が終わってから、落ち着いたら伝えようと思ってます。
そのため入院は勿論、手術の日1人。
かなり心細長いですが、仕方ないですからね。
自分がしっかりしないとなので泣いてる暇はありません。
手術は10月2日に決まりました!
19日は麻酔科の先生からのお話し。
その後、診察室で主治医からどんな手術、術後のお話をされると思います。
今、言われてるのは、3.4週間、土日祝日以外は毎日、放射線治療に来なくてはいけないと言われてます。約1ヶ月、毎日、通わなければならないのが辛いです
頑張るは私にとってとても辛い言葉となり、友達など私のために頑張ってと言ってくれますが卑屈に捉えてしまいます。
何を何処まで頑張れば良い‼️っと。
1人だけ、同じ病になり右胸を全摘出した人だけは頑張れって一度も言いませんでした。
その事を話したら、私は頑張るじゃなくて戦うたんだよって教えてくれました。
だから私もその言葉を借りて、戦う!って言うようにしてます。
友達に頑張って言ってもらえることは本当にありがたいことですし、感謝するべき!
卑屈になってしまう私は人間としてまだまだ未熟者だと思いました。
30日、逃げたくもなりました。
今も本音を言えば怖いし不安です。
でも、なってしまったからには、治す!しかないですからね。
いつか、あの時はこんな事言ったのにね〜って笑い合える未来の自分になりたいです。
沢山の勇気と希望を頂いたので、病魔と戦います!
その暖かい光をくれる彼が現れました。
私がどんな形になっても変わらないと言ってくれたから…
今はそんな大好きな彼と過ごせてるこの時間も私にとってかけがえがなく、安定できる時間です。
まだ付き合って18日で5日目なんですけどね
このことはまた詳しく書きますね!
また検査結果が出たら報告させて頂きます!
ここまで読んで頂きありがとうございます