大阪で起きた女性の刺殺事件・・・


以前のブログで書いた「聞きたくない」部類の

凄惨かつ、悲劇的な事件です。


何が悲しいかと言うと、2歳弱にして母親を

筆舌に尽くしがたい悲劇的な理由で失くしてしまった

子供の事を思うと・・・です。


事件の背景や状況は今後明らかになって行く事でしょうが

失われた命は戻りません。

そして、子供を遺して逝く事になったお母さんの気持ちを

慮ると、やるせない気持ちになってしまいます。


さて、これは完全な私見になります、

過激な意見かとも思われるかもしれませんが

あくまで、私見ですのでご容赦ください


恐らく、この事件は被告側は「心神耗弱」を持ち出して

刑事責任能力の有無を争点にしてくるでしょう。


しかし、私はいつも、この「責任能力の有無」について

不思議に思っています


刑法の39条には確かに

 

    心神喪失者は罰しない

    心神耗弱の者は刑を軽減する


とあります、確かに日本は法治国家ですから

こうして、刑法に条文がある以上、

心身に異常があれば、刑罰が軽減される・・・

「罪を憎んで人を憎まず」

犯した罪も、犯してしまった人間が

罪を犯している認識を持てない場合は

これを罰しない・・・


と言う事になります。


まあ、難しい法理解釈は置いておくとして

つまる所、今回の事件は心神の異常が認められれば

無罪放免になってしまう可能性すらあると言う事です。


毎度毎度、こう言う事件が起こるたびに思うのですが

人権と言う物ってなんでしょうか?


勿論、知っています、人が生まれて持っている権利の事です。

産まれながらの特権階級が世の中を仕切っていた欧州で

「王侯貴族だけじゃなくて自分たちにだって権利がある!」

と言う意識の中で醸成され、

第二次世界大戦の惨禍を経験した人類が

再びあのような悲惨な思いをしなくても済むように

「人は生まれ乍らにして生きる権利を持っている」

と謳い上げたのが現在の世界のスタンダードな人類の

普遍的思想です。


この人権と言う物はある意味人類の発明品の中でも

トップクラスに素晴らしい物であると考えています。


この「人権」のお蔭で、私の様に卑小な者であっても

権力によって不当に権利が侵害される事がないのです。

ある日突然日本の為政者が

「しょぼくれた40代前半のおっさんを皆殺しにする!」

等とも言えないのです、そう言った自由を守る為に

普通の市民に与えられた、権力をも斬る事の出来る

刀、それが人権なのです。


しかし、その刀は「諸刃の剣」です使い方を誤ると

自身に跳ね返ってくることもあります。

例えば自分たちの代表を選ぶ権利もありますが

選択を誤ると、その失政は自分たちに

降りかかってくる事になります。


さて、人権とは本来権力からの不当な侵害を

打ちのめす為の刀なのですが

①その刀を振り回し、周囲に自分の権利を通そうと

  威嚇する人々もいるのは事実です。

②また、その刀を使って、無関係の他者を

  傷つけてしまう人もいます。

③その刀の使い方を知らずに鞘を抜き振り回して

  他人を傷つける人もいます。


こう、考えて見ると判り易い。

 ①はモンスター〇〇と言う人や組織暴力の事です

 ②は殺人や傷害、窃盗など、犯罪を平気で犯してしまう人

 ③は今回のケースです、心神耗弱状態の人


こう言う人たちに

「刀」を持たせる事って、常識的にどうなんでしょう?

普通なら「刀」を取り上げますよね。


「人権」も、同じように考えればいいんじゃないでしょうか?


余りにも悲惨な話、少し感情的になってしまったのかもしれません。


世の中の子供たちが、どんな形ではあれ

一人でも不幸になって欲しくはありませんね




はじめにナチスは共産主義 者に襲いかかった、

私は不安を感じたが、

共産主義 者ではなかったから声をあげなかった。


つぎにナチスは社会主義者と労働組合 員に襲いかかったが、

私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。


つぎにナチスはユダヤ人に襲いかかったが、

私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。


そして、ナチスが私に襲いかかったとき、

私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。


マルティン・ニーメラーと言う牧師の言葉として

聞き及んだ方もおられると思います。


ナチスの弾圧と不寛容についてどうこう言うつもりはありません。

先の大戦の出来事はあくまで歴史の中の話であり、

我々に出来る事と言えば、精々、史上類を見ない被害を出した戦争の

検証と反省程度の事でしょう。


しかし、反省は次代に活かされてこそ、意味を持つのです。


社会不安が増大し、発展が斜陽に差し掛かると

とかく人々は不寛容になります。


内にこもりがちになり、他人を叩く事で溜飲を下げ

他人を非難する事で、自分たちを優位に見せようとします。

これは、人類と言う生物がそうなっている以上、

仕方の無い事なのかもしれません。


先の大阪都構想の否決の世論調査で

「高齢者層の票が反対が多かったので否決された」

との認識が広がり

「高齢者が若者の未来を奪った」

と言う言われようがなされる様になりました。


ここで重要なのは、推進側、反対側の双方とも

「高齢者に対して(反対・賛成)すれば、不利になる!」

とは言っていない事です

良く言われる敬老パス問題についても

推進側の説明にも(それが信用されたかどうかは別にして)

現行の状況を特に悪化させる内容が解説されていた訳では

ありません。


つまり、高齢者は都構想に積極的に反対する理由がなく

実際賛否は確かに反対側が多かったものの

6:4程度であり、実際そこまで「高齢者が皆反対した」

と言えるほどの事ではありません。

仮に1:9で反対高齢者が全員投票したと仮定しても

「反対多数」の結果になる筈はなく、

一概に「高齢者層の反対」が原因とは言えない

と検証しているサイトも幾つか拝見しました。


事の真偽はさておき、

当初有利と思われながら思わぬ苦戦→逆転をされてしまった

「賛成派」の方々は憤懣やるせない思いから

戦犯探しに走ったのでしょうが…なんとも拙速な事です。

また、「賛成派」の方々は改革派の有名人の方なども多く。

「自分の思い通りにならない結果=自身の影響力の少なさ」

に愕然とし

「既得権を老人が振りかざした結果だ!」

と責任の所在をはっきりとさせ

気持ちを落ち着きたかったのかもしれません。


しかし、ここで「女性の反対が多い」となっていれば

「甘えに慣れた女性が甘えの”既得権益”を振りかざした結果だ」

「30~40代男性の反対が多い」となっていれば

「団塊Jrは正社員が多い、既得権益をこわされる事を恐れたのだ」

「20代の反対が多い」

「何も考えないゆとり世代の弊害だ」


など、幾らでも理由を付ける事が出来ます。


そもそも「高齢者」と名指しで批判しておられた

コメンテーターの方は50代終盤、後数年もすれば

ご自身が高齢者の仲間入りしてしまうのです。

「高齢者から選挙権を取り上げろ」と言うのは一つの意見ですが

ご自身の選挙権の剥奪までもう秒読みだと言うのは皮肉な事です



さて、とは言え高齢者問題は深刻です。

高齢者が深刻なのでなく、高齢者の社会的扶助の負担が

非常に多額の物となる事は現実問題としてあります。


そこで私見ですが

「高齢者村」と言う物を山村に築いて

そこで生活して頂くと言うのはどうでしょうか?

無論、資産は全額国が取り上げる事になります。

年金も一切支給されません。

生活補助費として年間60万までの私有は許可されます

そして、そこでの生活は無料です。

村の中では相互扶助を基本として、

(介護のボランティア等にも寸志が支給される)

それぞれのユニットに

住宅を支給します。医療も無料です。

また、本人の意思確認により安楽死も認められます


食事における食材や惣菜など

それらを含めて全て無料で支給されます。

公共交通も充実させ、村落内での移動や

最寄りの都市への移動も楽にできます。

働ける方は都市に出てどんどん働いて頂きますが

基本的に月に5万円以上の収入は

全て村落の運営費に回されます。


外出や出入りは一週間以内であれば自由ですが

それ以上は自治会の許可が必要です。

「高齢者村」に入る、入らないは自由ですが、

入らなければ、年金の支給はなし、相続税は100%

医療等の助成もなしになりますので、

非常に厳しい状況になるでしょう。


「姥捨て山」の批判もあるかとは思いますが。

私にも、あと四半世紀で訪れる未来です。


歳取ってまで煙臭い都会で暮らしたくはない私には

(今もかなりの田舎暮らしですが)

こう言ったところで偶に孫の顔でも見ながら

余生をのんびりと送りたいと考えたりします。


うーん、でも、バイクの持ち込みはOKにしてほしいなあ・・・



色々とバタバタしていて2ヶ月が経過・・・

やはり、ブログ向きではない性格ですねえ。


その間、箱根はなんか大変な事になっていますし

大阪都構想は否決されるし、いろんなことがありました・・・


前回、何を書いたのかも良く覚えていませんが・・・


さて、さて、本日は少し趣味の話をしてみます。


私はこの10年ほど、子育てに感けておりますが

実はバイクなどと言う物に乗っているのです。


登山は息子と同じ趣味なので、現在の所、私だけの趣味と言うのは

バイクと言う事になるのでしょうか・・・


バイクとの付き合いは実は永く

18の時に出会った奥さんよりも2年も永く付き合っています。

元々私は母子家庭で生まれ育ったので、御幼少の砌より

余り車とかに興味を持たずスーパーカーバイアスの影響も

受けていないのです。


ましてやバイクになんぞ露も興味を持っておりませんでした。

世は丁度バイクブームの只中、中坊の時の先輩などは

やれ「なんとかアール買ったぜ!」とか

「なんとかエックスに乗って彼女も出来たぜ!」

などと自慢しておりましたが、私には何の事やら

・・・いや、彼女は羨ましいですがね・・・


そんな私も人並みに高校に行く事になったのですが、行った高校が

農業高校と、これは人並みにあらず。

授業で農作業用の運搬車(テイラー)などを運転する必要にかられて

小型特殊免許を取りに行ったわけです。


で、小型特殊を取るなら、

ついでに原付免許を取ってやろうと言う事になりまして、

(そう言う高校でしたから、3ナイ運動(バイクに乗らない、乗せない

 免許を取らせない)は緩かった)

何かと便利だろうから、足代わりに原付にでも乗ろうかなと・・・


この時に普通にスクーターに乗っていたら、多分、今はバイクになんか

乗っていなかったと思います。


しかし、この時、溜まったお小遣いを持って

スクーターを買いに行ったそのお店で見かけたのが

NS50Fと言う普通のオートバイでした

「え?何?これ原付免許で乗れるの?」

と言う事でとんとん拍子に話は進み、購入、乗っているうちに

どんどんと、バイクに嵌って行ってしまいました・・・


あれから・・・2x年・・・

そう、未だに乗り続けているのであります・・・





さて、息子は中学初の中間テストに向けて

頑張っています。

あまり気負わずに、自分の力を出し切れば良い

とは言うのですが、根が真面目なのか・・・誰に似たのか・・・


応援する・・・と言うのとも少し違う気がしますね。

見守る事しかできませんが、自分の出来る事を精一杯するだけです

私も息子も・・・