今日の朝は早く出社し朝会議!
ようし一つみんなを、喜ばしてやろう!と張り切って
いつも家で北海道から取り寄せて飲んでいるおいしいコーヒー豆を持参し
ドリップしてご馳走する。 が・・・
普通に「どうも」と飲んでいる(⌒-⌒; )
あれ?旨くない?・・・
あまり喜ばないねえ?
もっと感動してよ〜!
あまり感動してくれなかった(ー ー;)
そしてその時なるほどなあ!と気づいた
喜ばそうと思ってやった行為だが、相手がコーヒーにそんなに興味がなければ感動がなくて当然だ。なのにイマイチ相手の反応が薄く、喜んでもらえなかった時「せっかく喜んでもらおうとこんなにしてあげてるのに」とか「ここまでしてあげてるのに反応が薄い」と自分で勝手にしたことを棚に上げ、人のせいにして、怒ることは無いまでも残念がっている自分がいる
そうか、喜ぶか喜ばないか、嬉しいか嬉しくないかは、相手の勝手であり求めて強制するものではないのだ
だって相手の気持ちは相手のものだから!
今日はそんなこともわかっていなかった自分に反省。気づかせてもらった!
このことに気づいたでけ成長している。(^ ^)
でも喜んでくれている笑顔を思い浮かべる時間を持たせてくれただけでも幸せなことじゃないか!
この感覚は世間でよく言うあの感覚に似ているのかも
「子供は3歳くらいまでは無邪気に笑ってかわいい顔を見せてくれる。
それだけで親はかわいいなあと気持ちは癒され、既にそこで親孝行は終わっているのだ。
一瞬だけ幸せな気持ちを味あわさせてくれた時点で、親孝行は終わっている!」
ということと一緒なのかも!
だから勝手に自分の望んだ通りしてくれないから気にいらない、と残念がるな!
ようし喜ばしてやろうと一瞬だけでも楽しい気分を味あわせてもらっただけで幸せじゃないか!
楽しい気分と良い気づきをもらった良い1日であった(^ ^)
人生は深いねえ(-_^)