今朝、たまたま見た動画で「平和的なデモ」について話してました。
動画はまだ全部見てないので詳しく分かりませんが、その人の意見はそれを否定するもののようでした。

実は、つい最近(数日前だったか昨日だったかの時間的感覚がわからないのですが)たまたまテレビの画面を見た時に目に入ってきたテロップの言葉
『平和的なデモだったはずが…』
というようなもので、
思わず、
「平和的なデモってあるの?」
と声に出していました。

そして、最近、何かのきっかけで思い出したことがあったのですが、
十数年前、
アロマトリートメントサロンを開業したばかりの頃(のちにヒーリングサロンになりました)同業の交流会に参加して、そこで知り合った同じ頃に開業した言わば同期とも言える人たちと4人で帰り道に親交を深めるためにお茶をしました。
そこで話してるうちに、1人の人が、「ある場所でトンネル工事の反対運動で座り込みをしている人たちがいるから、その人たちにハンドトリートメントのボランティアをしたらどうか」と話しました。
その前後の話を覚えてないので、記憶が間違ってるかもしれませんが。
その時、私以外の人たちは賛同して、話は盛り上がっていました。
私は多分何も発言しませんでした。
違和感を感じたから。

そのあと、具体的にお誘いのメールが届き、知り合ったばかりだし、みんな盛り上がってるし、どうしようかと躊躇しましたが、自分の心に従って、お断りしました。
何と言って断ったかあまり覚えてないけど、多分「今、私がやることじゃないと思うから参加しない」というような事だけ伝えた気がします。
その後、みんなは行ったのかどうか、その話を後に聞くことはなかったけど、その人たちとは、その後も同業仲間として親しくお付き合いがあったし、今でも交流のある人もいます。

そのボランティアへの参加を断った本当の理由、違和感は、それまで自分の中に確固とした考えがあったわけではなく、初めてそういう話を持ちかけられて感じた違和感から知った自分の考えなのですが、今も変わってないという事を最近感じていたんです。


反対運動や座り込み、デモを行う人たちの考えに、例えば私も共感したり、同じような意見だとしても、反対運動を起こすことは、対立や戦いを生み出す事だし、こちら側から見て、自分が善で相手が悪だとしても、俯瞰して見ると、それはどちらが善とか悪ではなく、「対立」であり「戦い」でしかなく、平和とは言えないと思うのです。


それが私の感じ方や考えであり、そうじゃない人を否定する気持ちはないんです。

十数年前の話でいうと、その時、座り込みする人たちにハンドトリートメントをしてあげたいと言った人たちがどういう気持ちでそう思ったのかはわかりません。

自然破壊は許せない!そういう反対をする人たちに共感して助けたいと思ったのか、自分にできるハンドトリートメントで誰かを癒したいと思ったのか。

どういう理由であれ、その人にとっての「善」の気持ちで動こうと思ったのだと思うのです。

だから、というか、当然だけどその人たちを否定する気持ちも反対するつもりもありませんでした。

考え方の違いというだけなのだから。

私も攻められる事ももちろんありませんでしたし。


今の世の中も、色んな情報や考え方があり、

あれは間違ってる、こっちが正しい

とか

善と悪で分かれた世界ができているように思います。


あれは間違ってる

悪を正そう!

そんな風に声をあげる事、行動を起こす事も、私にとっては同じように平和的ではないと感じます。

元のところはそういう人たちと同じ考えだとしても。


先日、Eテレの番組で『令和の寺子屋』というのがありました。

たまたま見つけて、気になったので録画したのですが、

私の知る限りでは2回放送があって、講師は宮本亜門さんと生物学者の福岡伸一さんで生徒は小学生でしたが、どちらの講義もすごく面白くて為になる話で、今日書いた内容とも繋がる内容だったように思います。


再放送があるのかどうかわかりませんが、

機会があればぜひ。


今の世の中を見ていて思う事は色々あるけど、

私はただただ平和な世界を生きたい。

変えるために行動を

という気持ちもわかる。

その人たちを否定も批判も反対もしない。

この先このままだとどうなっちゃうの⁈

という気持ちも私も出てくる事もある。

でも、対立していては、どこまでいっても平和はない。

私はそう思うのです。


平和な世界を生きたいから

ただただ平和を願う

そうなる事を信じる

イメージする


そして自分の世界を平和にする


それくらいしかできる事はないかな

と思うのです。



ただただ平和だ。