なぜかアクセス数が増えている。
池江璃花子選手、がんばれ!
なぜかアクセス数が増えている。
池江璃花子選手、がんばれ!
それから4ヶ月・・・・・
いつものように帰宅してマンション玄関の集合ポストをあけると、
そこには前にも見たことのあるオレンジ色の大きな封筒があった。
差出人は(財)骨髄移植推進財団。
あの時と同じだ。
なんとも言えない既視感 deja vecu(デジャヴュ)?
また?
もしかして?
ウソだろ!? こんなに早く来るわけがない。
部屋に入り封筒を開いてわかった。
文面は前回とまったく同じ。
2度目の赤紙、 召集令状だった。
奇跡だよ!
誰がどう見てもこれは奇跡と言うしかないだろう!(^O^)
だって、普通なかなかドナー候補には当たらないんだよ。
前回だってドナー登録から5年間まったく音沙汰無かったわけだし、
登録しても一度もヒットしないで終わる(55歳定年)人が、ほとんどなんだからね。
前の人のコーディネート終了からたった4ヶ月で他の人のドナー候補にヒット!
どうだ、奇跡だろう。
奇跡が起こったんです!
ここん所、コメントであんまり突っ込まないでね。
大げさだとか、引っ張りすぎだとか(^_^;)
じゃあ、また始まるよ!
↓
「俺の患者さん、がんばれ~!」
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コーディネート終了
X月X日 赤紙から165日目
(手術延期連絡から81日目)
3ヶ月余りの長~~い放置期間だった。
コーディネーターからの電話。
「西島さん、こんにちは。今日は大変残念なお知らせなんですが、患者さんの都合でコーディネート終了という事になりました。」
俺「コーディネート終了って? 手術日まで決まってからの延期だから・・・・、亡くなられた?」
コーディネーター「詳しい事は私達にも知らされませんので100%という事ではありませんが、この場合そういう事になりますかね。」
赤紙から約半年。
患者さんの事を考えない日は、1日たりともなかった。
特に患者さんのプロフィールが、具体的に分かってからは、
毎日のように神棚に骨髄移植の成功を祈願していたし。
こういう風になる事は、
最悪の場合のケースとして予想はしていたが、
現実に知らされると、かなりヘビーだ。
2日後に黄色い封書が届いた。
日付を見ると、2011年3月18日である。
のちに、3.11と言われるあの大地震から7日目だ。
その頃、3階まで津波にさらわれた病院の映像が、
毎日のように繰り返し放送されていた。
俺の患者さんは「東北地方に住む20代の男性」。
地震で亡くなったという可能性は無いのだろうか?
そう考えると、コーディネート終了の理由が益々知りたくなってくる。
半年の間に渡ってある意味一心同体のように思っていた人が、
病気で死んだのか、
大地震という災害で死んだのか、
それとも奇跡的に他の療法で生きているのか、
それを全くドナーには知らされないなんて・・・ドゥュゥコト?
骨髄移植財団はドナーの精神的苦痛とか、
いろいろ訳あってそうしているのだろうけど、
俺は本当の事を知りたい。
そこでお願いなんですが、
このブログをご覧の方の中に、
この件についてお心当たりの人はいないでしょうか?
ぜひ、連絡を お願いします。
どうしても知りたいもんで。m(_ _)m
という事で、このブログもこれにて終了
(´・_・`)
にはなりません。
このあと、奇跡が起こります!
ここまでの事はほんの序章。
ここからがこのブログの目的である、
骨髄バンクの啓蒙活動の、本当のスタートです。
乞うご期待!!
COMING SOON!
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